saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第二章 「 解き放たれた愛 」 第二の質問

第二の質問
「きのうの経典(スートラ)のなかで、仏陀は言っています。
『菩薩の乗物で旅立った者は
私は全存在を涅槃(ニルヴァーナ)へ導かなければならない
何ひとつ あとに残さないあの涅槃(ニルヴァーナ)の境地へ・・・』
という決意を しなければならない。

バグワン、この『何ひとつあとに残さない涅槃の境地』とは 何ですか ? 」



仏陀は 二種類のニルヴァーナについて 語っている
その ひとつを彼は、基体あるニルヴァーナ(有余依涅槃)と 呼ぶ

樹は消えた
欲望という樹はーーー

群葉、葉、花、果実、あらゆるものが 消えた
だが根は 依然として 地下にある、暗い土の中に 隠されている
外側からは 樹は取り除かれているが、樹は 依然として再生する力を 持っている

その基体は 依然として そこにある
種は まだ焼き尽くされては いない
これを 彼は 基体あるニルヴァーナと 呼ぶ


これは パタンジャリが サビージ・サマーディと呼ぶものと まったく同じだ
種子ある サマーディーーー

それは 外側からは 非常にむつかしい
樹は すっかり取り除かれている
だが土の下には 根がまだ 生きて、再び芽を出すのにふさわしい瞬間を 待っている

雨が 降れば、それは 芽を出すだろう
それは 自分の季節を、再び出番がくる瞬間を待っている

マインドが消える この状態は 何度もあなたが達した地点だ
ノーマインドは 感じられるが、再び マインドが帰り、芽を出す地点だ


あなたは山頂(ピーク)に 達する
その 山頂を 体験した瞬間、あなたは すべてが終わった と 思う
もう けっして暗黒の谷間に 落ち込むことはない・・・

あなたは 思う
あの醜い 惨めな日々には けっして戻るまい
魂の闇夜は 終わった
朝が 来た
太陽が 昇った、と ーーー


しかし、ある日 突然
あなたは再び暗闇に すべり落ちていることに気づく
再び 谷間ーーー
再び 光は もうない
再び あの「山頂 ピーク」体験は ただの 記憶だ
人は それが実際に 起こったかどうか 疑いはじめる
「私は ただ 想像していただけなのだろうか ?
あるいは ただ夢を 見ていただけかもしれない」

なぜなら、もしそれが起こったのだとしたら、それは いったい どこへ行ったのだろう ?
あの 日が射す山頂は どこへ行ったのだろう ?
あの エクスタシーの瞬間は どこへ行ったのだろう ?

そして惨めさが 帰り、苦悩が 帰り、苦痛が 帰っている
あなたは 再び 地獄のなかへ 落ち込んでしまった

これは 何度も 起こる
これを仏陀は 基体ある ニルヴァーナと呼ぶ
パタンジャリの用語では サビージ・サマーディだ

世界という顕れは消えたが、顕れざる種は 依然として残っている


二番目の ニルヴァーナを、仏陀は 基体なきニルヴァーナ(無余依涅槃)と 呼ぶ
パタンジャリの言葉では ニルビージ・サマーディ、種子なきサマーディだ
ただたんに樹が 破壊されただけではない、種も また焼かれた
焼かれた種は 再び芽を出すことはできない
基体は すべて消え去っている

そうなったら あなたは永遠に 山頂にとどまる
そうなったら もう転落することはない
それが きのう経典のなかで 仏陀が言っていることだ
「菩薩の乗物で旅立った者は こういう決意をしなければならない
『私は全存在を涅槃(ニルヴァーナ)へ導かなければならない
何ひとつあとに残さないあの涅槃の境地へ・・・』」
そこでは 背後に どんな基体、どんな根、どんな種も残さない



第二の質問 終わり・・・第三の質問 (01)へ 続く