saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第一章 「涅槃(ニルヴァーナ)の境地」 (11)

(…まだ闇の中で つまづき、手探りしている人を 助けてあげることだ
マスターが あなたのためにしてくれたことは 何でもほかの人達にしてあげなさい
そうすれば あなたは 恩返しをしたことになる )


彼は「どのようにして立つか」と 訊ねている
それは むつかしい、不可能に近い
「どのようにして進めばいいのでしょう ?
どのようにして 人々を助けることを始めればいいのでしょう ?
なぜなら、それもまた むつかしいことだからです
いまや私たちは 彼らの苦しみは すべて偽りだ ということを理解しています
いまや私たちは 彼らが悪夢に苦しんでいるにすぎないことを理解しています
彼らの苦しみは 真実のものではありません
いまや私たちは 彼らが 紐を蛇だと思って おそれているにすぎないことを知っています
いまや、そういう人々を助けることは 非常にむつかしい
それは ばかげています

そして、私たちは 彼らが 助けを必要としていることを 知っています
それは私たちが 自分自身の過去を 知っているからです
私たちは かつて 震え、泣き、叫んでいました
私たちは 自分がどんなに 苦しみを味わってきたか、知っています
しかし今は、苦は すべて夢のようなものだと 知っています
それは まぼろし、幻影(マーヤ)でした 」


ちょっと 考えてごらん
あなたは 相手が ばかなことを言っているだけで、傷などはないのだ と 知っていたら・・・


あるとき、ひとりの男が 私のところへ連れてこられたことがある
彼は どういうわけか、こういう考えに とりつかれていた
「蠅が二匹 おなかの中へ入ったしまった
それは自分が 口を開けて寝ていたからだ
そしてその蠅は おなかの中を飛び回っている」
もちろん、蠅が入ったのだったら、それは飛び回るだろう
彼は たえず心配して、一定の姿勢で坐ることさえできず
こっちへ動こうとしたり、あっちへ動こうとしたりしていた
そして「奴らは こっちへ来た、今度は そっちだ」と 言うのだった

彼はもう 気も狂わんばかりだった
そこで、彼は 医者という医者のところへ行ってみた
だが、誰も助けになれず、彼らは みな笑って こう言った
「君は 空想しているだけだ」
だが人に、あなたは 苦しみを空想している、と 言うだけでは たいして役には立たない
なぜなら、その人は 現に苦しんでいるからだ
あなたにとっては 空想かもしれないが
彼にとっては その苦しみが 空想であろうが現実であろうが なんのちがいもない
いずれにしても 苦しんでいることにかわりはない
あなたが それを何と呼ぼうと まったくちがいはない


私は 彼の腹に手をあてて「ふむ、 ここに蠅がいる」と 言った
彼は 非常に喜んだ
彼は 私の足に ひれ伏して こう言った
「あなただけです
私は いろんな医者たちのところへ行ってきました
アユルヴェーダや 逆症療法や同種療法の医者たちのところへーーー
彼らは みんなばかです
彼らは ひとつのことを繰り返し 言い張るだけなんです
私は 彼らに 言ってやりました
『薬が無いのなら無いと あっさり言えばいいじゃないか
なぜ私が空想しているなんて言うんだ』
今は あなたが ここにいます
見えませんか ?」

私は言った
「完全に 見えますともーーー
蠅が そこにいる
私は そういう問題を扱っている」

私は 続けて言った
「あなたは然るべき人のところへ来た
これこそ私の仕事のすべてだ
私はこういう実在しない問題を取り扱う
私は ありもしない問題を処理する専門家だ」

私は 言った
「ちょっと横になって、目を 閉じなさい
あなたに目隠しをしなければならない
そして蠅を 取り出そう
口を開けてごらん、そうすれば私が蠅を 呼び出してあげよう
偉大な マントラが必要だ」


彼は たいそう幸せだった
彼は「こうでなくちゃ」と 言った

私は彼に目隠しをして、口を開けるように言った

彼は、蠅が出るのを待ちながら、実に幸せそうに そこに横たわっていた
そこで、私は 蠅を二匹みつけるために家の中に駆け込んだ
私は 一度も 蠅を捕まえたことがなかったから それはむつかしかった
が、どうにか こうにか捕まえてきた
彼は 目をあけると、瓶の中に 二匹の蠅が いるのを見て 言った
「さあ、その瓶を私に下さい
あの馬鹿者どものところに 行ってきます」

こうして、彼は すっかりオーケイになった

しかし、こういう人たちを 助けるのはむつかしい、非常に むつかしい
というのも、あなたは 彼らの困難は すべて偽りだと 知っているからだ


スブーティは 訊ねている
「世尊よ
まず いかにして ここに立つか教えてください
なぜなら、私たちの根は 消えているからです
私たちは もうこの世界には 属していません
私たちの さまざまな執着は 消えています
ーーーそれらが 根 なのです
そして、どのように進み、働きかければいいのでしょう
なぜなら、いまや私たちは これはすべて ただの ばかげたことだと知っているからです
人々は あらゆる苦しみを 想像しているのです
そして、どのようにして思考を制御すればいいのでしょう ? 」


彼は 何を意味しているのだろう ?
なぜなら、ボーディサットヴァは ふつう なんの思考も持たないからだ
あなた方が持っているような思考は 持っていない
いまや思考は ただひとつ、それは彼岸の思考だ
そして、その彼岸は たえず引っ張っている
扉は 開いている

あなたは全き至福の中へ 入ることができる
が、あなたは 扉の所で じっとしている
そして、扉は 開いている


まず、あなたは何生ものあいだ、その扉が どこにあるか 捜していた
次に、あなたは何生ものあいだ、その扉を ノックしつづけてきた
いまや その扉は 開いている
そして仏陀は言う
「待ちなさい
その扉の 外側に いなさい
助けを必要としている人々が 大勢いる」

当然、入りたいという 大きな欲望
扉を通って入りたい という大きな熱情が 湧き上がってくる

それこそ彼が 訊ねていることだ


“ このような言葉のあとで
世尊はスブーティにこう言われた
「それゆえに スブーティよ
よく 注意深く聴きなさい
菩薩という乗物で旅立った者は
このような想いを起こさなければならない」”


これは あまり良い訳ではないようだ
サンスクリットの原語は チットパッドだ
人は こういう心、こういう決心を 生み出さなければならない
人は こういう偉大な決意ーーーチットパッドーーーを、このように 生み出さなければならない


“ 生けるものの世界に在るかぎりの
生けるものという言葉に含められるかぎりの生きとし生けるものーーー
それらありとあらゆるものを
私は涅槃(ニルヴァーナ)へ導かなければならない ”


ひとりやふたりではない
スブーティよ
ひとりやふたりではなく、全 存在だ
男性、女性、動物、鳥、樹々、岩ーーー
生きとし生けるもの、あ り と あ ら ゆ る も の だ
人は「それらすべてを涅槃(ニルヴァーナ)へ導こう」という
そのような決意を 生み出さなければならない


“ 何ひとつあとに残さないあの涅槃(ニルヴァーナ)の境地へ・・・
しかし 無数の生きとし生けるものが
そのように涅槃へ導かれたにもかかわらず
いかなるものも涅槃へ導かれたことはない ”


これもまた 憶えておかなければならない
忘れてはならない
さもなければ、他の者たちを導きながら、あなたは また無知のなかへ陥ることになる


全 存在が彼岸に 導かれなければならない
しかしあなたは 憶えておかなければならない
彼らの苦しみは偽りであり、したがって あなたの救済も 偽りだ ということを
あなたは 憶えておかなければならない
彼らに 自己はなく、あなたにも 自己はない ということをーーー

だから忘れずにおきなさい
自分が人々を助けている とか、自分は 偉大な救済者だとか、あれこれ 考えないことだ

さもなければ、あなたは また転落する

あなたは またこの岸に 根を生やす



だから、二つの事柄が 心に留められなければならない

あなたは大いなる決意をもって この岸にとどまらなければならない
さもなければ、あなたは彼の岸に 引っ張られるだろう

それにもかかわらず、あなたは 再び根を生やしては ならない
さもなければ、あなたは なんの助けにもならない

あなたは自分自身を破壊し、再び 夢の中へ陥る




(11)終わり・・・(12)へ 続く