saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第二章 「 解き放たれた愛 」 (03)

(…突然、いっさいの思考が 麻痺する
それは鈍くなる
その麻痺状態のなかで、あなたは ノーマインドの 最初の一瞥を得る
ほんの小さな 窓が 開く・・・

そのマインドの 停止のなかで、あなたは ノーマインドの 味わいを得る
そうして 物事が 動きはじめる )

そうなったら、あなたが〈無限〉のなかへ失われることは より易(やさ)しくなる


あなたは 瞑想する ことなどできない
あなたは そのなかへ 入って行かなければならない
「それを瞑想する」ということは 偽りの行為だ
それは 一種の回避、逃避だ

あなたは 死を おそれている
だから 死について考える

あなたは ニルヴァーナを おそれている
だから ニルヴァーナについて考える
思考は、あなたが 死やニルヴァーナについてさえ 考えることができる という感じを 与える



「私が瞑想するときには、私のマインドは爆発するようにみえます」


マインドは とても ずる賢い
それは あなたを だましているにちがいない
なぜなら、あなたが 考えているあいだは 爆発できないからだ

何に ついて 考えているかは 問題ではない
あなたが考えているあいだは、マインドは 爆発できない
マインドは それ を 楽しんでいる
まさにその楽しみのなかで、あなたは 自分が爆発している と 考えている



「それは、私が自分の限界を強いて越えようとしている、そして自分が精神分裂(統合失調)症に なるのをおそれている、というような感じです」


ディネッシュ、精神分裂(統合失調)症に なるのではないかと おそれるにはおよばない
なぜなら あなたは すでに そうだからだ
ーーーみんな そうだ

マインドは 精神分裂症的だ
なぜなら、マインドは まったく統一を 知らないからだ
マインドは つねに 分裂している
マインドには いつも 代案がある
在るべきか 在らざるべきか、これをするか あれをするかーーー

マインドは いつも 優柔不断だ
たとえ 何かを選んでも、それを 選んでいるのは マインドの 一部分にすぎない
ほかの部分は 依然として それに 反対している

マインドは けっして全体的(トータル)ではない
だから マインドは 精神分裂症的だ
あなたは それを おそれる必要はない
マインドのなかにある ということは 精神分裂症的であるということだ

ただ ブッダたちだけが それを 超えている

多かれ少なかれ、全人類が 精神分裂(統合失調)症的だ
ある一点を超えたときには、あなたは 精神科医を訪ねなければならない

だが、その差は たんに程度の差だ

その差は たんに量的なものであって、質的な ものではない

あなたと 精神科医のあいださえ、あるのは 程度の ちがいだけだ

憶えておきなさい
マインドは 役に立たない
マインドは 助けになることはできない
マインドにできるのは ただ妨害することだけだ

それを 見抜いたら、ノーマインドが やって来る
あ な た が それを 連れてくるのではない
それは お の ず と やって来る




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