saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第二章 「 解き放たれた愛 」 第三の質問 (01)

第三の質問
「性(セックス)に対する 禅のアプローチは何ですか ?
禅の人たちは 中性か、あるいはまわりに 無性の霊光(オーラ)をもっているかのように見うけられます」。




禅は セックスについて どんな態度もとらない
そして、それが 禅の美しさだ

ある態度をとることは、あなたが まだ あれやこれやに とらわれている ということだ

ある人は 性に反対するーーーその人は ひとつの態度をとっている
ある人は 性に賛成するーーーその人は ひとつの態度をとっている

そして、賛成と反対は 牛車の両輪のように あい伴って進む
それらは 敵ではない
それらは 友人、同じ商売の 相棒だ


禅は 性(セックス)について どんな態度もとらない
なぜ性について 何かの態度をとらなければ ならない ?

それが その美しさーーー禅は まったく自然だ

あなたは 水を飲むことについて 何かの態度をとるだろうか ?
ものを食べることについて 何かの態度をとるだろうか ?
夜 寝入ることについて 何かの態度をとるだろうか ?

どんな態度も ない



私は こういう事についても 態度をとった狂人たちがいるのを知っている
人は 五時間以上 眠るべきではない という事だ
眠りは 一種の罪、必要悪のようなものだから、五時間以上眠るべきではない というのだ
あるいは インドでは たった三時間と 考える人々もいる
私は 十年間も眠ったことのない人に 出くわしたことがある
そして彼は このことだけのために 崇拝されていた
彼には それ以外には 何もなく、ほかの創造的才能は まったくなかった

これだけが唯一の才能だった
おそらく彼は 不眠症患者だろう
おそらくこれは才能でさえもなく、彼は ただ眠ることができないのだろう


彼は あまりにも神経症的に なってしまったので くつろぐことができない
そして、彼は 気違いじみてみえる
十年間 眠らなかったら 気違いにもなるだろう

そして 彼を礼拝するために人々が、群衆が やってくる
彼は 何か偉大なことを達成した
いったい 何を達成したというのだろう ?
そこでの「達成」は いったい何だろう ?

彼は 異常な人間、病める人間にすぎない
眠るということは 自然なことだ
彼は とても緊張せざるをえない
彼は 緊張している
そして 内面では 沸き立っているにちがいない

ちょっと考えてごらん
十年間も 眠っていないなんて !

しかし、いまではそれが 大きな投資になっている
いまでは それが儲かっている
彼の狂気が 一種の投資になって、いまや何千という人々が 彼を礼拝している
ただ そのこと だけのために ?


各時代を通じて、これが最大の災いの ひとつだった
人々が非創造的なものを、ときには病理的なものを 崇拝してきた ということがーーー

そのときには、あなた方には 眠りに関して 何か態度がある ということだ

食物について ある態度をとる人々もいる
これを食べるか あれを食べるか
これだけ食べて、それ以上は 食べるべきではない・・・

彼らは 体に耳をかさない
体が 空腹か否かに 耳をかさない
彼らは 一定の観念をもち、自然な本性に その観念を押しつけている


禅は 性(セックス)について どんな態度もとらない
禅は ごくシンプルだ
禅は 天真らんまんだ
禅は 子供のようーーー



(01)終わり・・・(02)へ 続く