saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第二章 「 解き放たれた愛 」 第三の質問 (02)

(…禅は 性についてどんな態度もとらない
禅は ごく シンプルだ
禅は 天真らんまんだ
禅は 子供のようーーー )

それは、どんな態度もとる必要はない、と言う
なぜか ?
あなたは くしゃみについて 何か態度をとるかね ?
くしゃみを するべきか否か、それは罪か 徳か、と ?

あなたは どんな態度もとらない
だが、私は くしゃみに反対する ひとりの男に出くわしたことがある

彼は くしゃみをするときは いつでも、ただちに 自分を守るマントラを 唱える
彼は ある小さな、愚かしい宗派に属していた
その宗派は くしゃみするとき 魂が外へ出て行くと考えている
くしゃみすれば 魂は出て行く

神を想い起こさなければ、その魂は 帰ってこないかもしれない
だから 想い出さなければならない
魂が帰されるように ただちに想い出さなければならない
くしゃみしているあいだに死んだら、あなたは 地獄へ落ちる


あなた方は どんなものについても 態度をとれる
ひとたび態度を 身につけたら あなたの純真さは こわされる
そして、それらの態度が あなたを支配しはじめる

禅は 何に対しても 賛成も反対もしない
禅は ふつうのものは 何であれ いいと 言う
ふつうであること
何でもない 人で あること
無で あること
どんな観念(イデオロギー)もなく 在ること
性格なくあること、無性格で あること・・・


性格をもつとき、あなたは ある種の神経症に かかっている
性格とは 何かが あなたのなかで 固定していることを意味する
性格とは あなたの過去を意味する
性格とは 条件づけ、教養を意味する
ある性格をもつとき、あなたは そのなかに閉じ込められ、もう自由ではない
ある性格をもつとき、あなたは 身のまわりに 鎧かぶとを まとっている
あなたは もう自由な人間ではない
あなたは 自分のまわりに牢獄を持ち運んでいる
それは とても微妙な牢獄だ
真の人間は 無性格だ


彼は無性格だ と 私が言うとき、それは何を意味するのだろう ?

彼は 過去から 解放されている
彼は、瞬間に応じて、瞬間のなかで 行為する
彼は 臨機応変

ただ彼だけが 臨機応変でありうる

彼は 何をなすべきかと 記憶を たどったりはしない

ある状況が生じて、あなたは記憶のなかを 覗いている
そのときには あなたは 性格をもっている
そのときには あなたは 自分の過去に訊ねている、「どうしよう ?」

どんな性格も もたないときには、あなたは ただ状況を 見つめるだけだ
そうすれば 状況が どうしたらいいか決めてくれる
そうなったら それは 臨機応変
そこにあるのは 対応(リスポンス)であって 反応(リアクション) ではない


禅は 何に関しても信仰体系を もたない
性(セックス)も そのなかに含まれる
禅は 性に関して 何も言わない
そして それこそ究極のものであるべきだ

タントラは 性について ある態度をとっている
その理由 ?
それは 社会がしてきたことを 治そうとしているからだ
タントラは 医療的だ
社会が 性を 抑圧したので、タントラは 人が均衡をとるのを助ける 矯正法として現われる
あなたが左に傾きすぎたので、タントラが来て あなたが右に傾くよう助ける
均衡を正すには、ときには右に 傾かなければならない
そうしてはじめて 均衡が得られる




(02)終わり・・・(03)へ 続く