saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第6話 ーーー Q&A 最初の質問 (05)

…( これら 七つの扉は
あなたが ひとりのブッダとなる前に 使われなければならないものだ )

あなたは 生の最も暗い領域まで
“ 魂の闇夜 ” にまで 踏み入らなければならない
ふたたび 朝が湧き上がり
ふたたび 太陽が昇り
そして,すべてが光となる その〈夜明け〉に帰り着くために ーーー

けれども
完全に発達した自我(エゴ)を持つということは ごく稀にしか起こらないことだ
もし 私の言っていることを 理解したならば
教育の全構造が 逆説的であるべきだということが わかるだろう

最初に,あなたは 自我(エゴ)というものを 教わらなければならない
それが 教育の 最初の部分
前半であるべきだ

そうして,それから無我
どうやって それを落とすか ということが教えられなければならない
それが あとの半分になるだろう


人々は ひとつの扉か,二つの扉か,三つの扉から はいって
ある特定の 断片的な自我(エゴ)に 捕われてしまう

一番目を,私は 肉体的な自己だ と言った
子供は ゆっくりゆっくりと 学びはじめる
子供が,自分は 別々なのだ
何か自分の 内側のものと,何か 外側のものとが ある
自分は ほかの肉体たちとは別々な ひとつの肉体を持っているのだ ということを 学ぶのには およそ 15か月かかる

ところが何人かの人たちは 彼らの 一生にわたって
その ごくごく断片的な自我(エゴ)に しがみついたままで 終わる
それが 物質主義者,共産主義者マルクス主義者として 知られるような人たちだ
肉体が すべて ーーー

自分の内側には 肉体以上のものなど 何もない
肉体が 自分の全存在だ
肉体と別々な,肉体より上の 意識など何もない
自分は肉体と別々なものじゃない,と 信じている人たち
肉体が死ねば 自分も死んで 一切が 消え失せる
塵また 塵 ーーー

あなたの中に 神性など これっぽっちもない
彼らは 人間を物質に 還元してしまう
こういうのが 最初のドアに しがみつき続ける 人たちだ
彼らの精神年齢は たったの 15か月としか思えない
ごくごく初歩的で原始的な 自我(エゴ) ーーー

物質主義どまりだ

こういう人たちは 二つのもの
セックスと食べ物に 引っかかったままになる

だが,覚えておきなさい
私が 物質主義者,共産主義者マルクス主義者と 言うとき
それは これで そのリストが完全だ という意味じゃない

ある人は 精神主義者で
なおかつ 第一番目に しがみついているかもしれない
たとえば マハトマ・ガンディーだ
もし彼の 自叙伝を読んでみれば・・・

彼は自分の自叙伝を『我が真実の実験』と呼ぶ
だが,もし彼の自叙伝を読んでゆけば
そのタイトルは ふさわしくないことが わかるだろう
彼は それに
『我が食べ物とセックスの実験』という名前を つけるべきだった
「真実」など どこにも 見あたらない

彼は 絶えず食べ物のことで 頭を悩ませている
何を食べるべきか
何を食べざるべきか ? ーーー

彼の悩みのひとつは 食べ物のことのように思われる
そして,もうひとつが セックスのこと
どうやって 禁欲するか ? ーーー

これが テーマとして流れている
これが 底流だ
絶え間なく
夜も昼も,彼は 食べ物と セックスのことを考えている
人は それから自由にならなければならない というのに ーーー

さて,彼は 物質主義者じゃない
彼は 魂の存在を 信じている
彼は 神の存在を 信じている
実際には 神を信じているがために
彼は それほど食べ物のことを 考えなければならないのだ
なぜかというと
もし何か 間違ったものを 食べて罪を犯したら
彼は神から 遠ざかってしまうからだ
彼は 神について 語る
が,考えるのは 食べ物のことだ

そしてそれは 彼だけに限らない
ジャイナ教の 僧侶たちも 全員そうだ
そして彼は ジャイナ教たちの多大な影響下にあった
彼は グジャラートに 生まれた
グジャラートは 基本的には ジャイナ文化だ
ジャイナ教グジャラートでは 最大の影響力を持っている
ヒンドゥー教徒たちでさえも
グジャラートでは ヒンドゥー教というよりは ジャイナ教に近い

ガンディーは,90パーセント ジャイナ教
ヒンドゥー教の家庭に 生まれてはいる
が,彼の心(マインド)は ジャイナ僧たちによって 条件づけ されているのだ
彼らは 絶えず食べ物のことばかり 考えている


そうして,二番目の セックスの観念が出てくる

どうやって セックスを 厄介払いするか ーーー



(05)終わり・・・(06)へ 続く