saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第4話ーーーQ&A 最初の質問 (07)

…(心理学者の仲間が ひとり来ている
彼が 長い質問を書いてよこした
彼は言う
「なぜ あなたは エゴを落とせ エゴを落とせと 言い続けているのですか ?
いままで誰ひとりとして エゴを落とすことのできた人など いやしません」)


さてと,どうして彼に それが わかる ?
いままで誰も 自我(エゴ)を落とせた人が いないなんて ? ーーー
彼は それがうまくいったためしがないと 言う
どうしてわかる ?
それは うまくいってきたのだ
それがうまくいってきたのは
とても稀有な ひと握りの人たちだけではある
が,それは うまくいってきた
そして,それが 稀有な人たちだけにしか うまくいかなかったのは
そうした稀有な人たちだけが それがうまくいくのを 許したからだ
それは 誰にでも 通用し得る
けれども,人々は それがうまくいくのを 許そうとしない
彼らは 自分たちの自我(エゴ)を 失う用意が できていないのだ


彼は心理学者だ
彼は こう言う
「バグワン,私は あなたの中に巨大なエゴを見ます」
ひとりの心理学者として 彼は言う
「私は あなたの中に巨大なエゴを見ます」とーーー
だとしたら,あなたは 全然 私を見てやしない
だとしたら
あなたは あなたの投影である何かを見ているだけだ
自我(エゴ)というものは それ自身を投影し続けてゆく
自我(エゴ)というものは それ自身のまわりに それ自身の現実(リアリティー)を
それ自身の反映を つくり出し続けてゆく


さて
もしあなたが そんなにも深く 私の中を見れるのだとしたら
なぜあなたは ここに来たのか ?
あなたは自分自身の中も 深く見れるはずだ
もしあなたに そんなに大変な洞察力が あるとしたら
なんで こんなところに来たりするのかね ?
それは 無意味だろう
それに,もしあなたが
もうすでに 自我(エゴ)というのは 落とされ得ないものだ
それは不可能だ と 決めてしまっているとしたら
あなたは試してみもしないで ひとつの決定をしていることになる
それに,私は
自我(エゴ)というものが 落とされ得る などと言っているんじゃない
私は 自我(エゴ)というものは 存在しない と 言っているのだ !

どうして 何か 存在しもしないものを 落とすことができる ?

そして,仏陀
自我(エゴ)が 落とされねばならない などと言ってはいない
彼が 言っているのは
自我(エゴ)というものは のぞき込まれねばならない というだけのことだ
そして,のぞいてみたら そんなものは 影も形も ないだろう
それだからこそ それ は 消え失せるのだ


だとしたら 何ができる ?
自分の 実存の内側に はいっていって
そこに どんなエゴも 見出せない
そこにあるのは 静寂だけで
自己というようなものの支配などなく
自我(エゴ)というような中心(センター)が そこに 何もない としたら・・・
自我(エゴ)を 落とすということは
あなたが それを落とさなければいけない という意味じゃない
自我(エゴ)を落とす というのは ただの たとえにすぎない
それは ただ
あなたが 中に はいっていき
自分の中を のぞき込んで,何も 見つけることが できなかったら
自我(エゴ)というものは 消え失せるという意味にすぎない
実際のところ “ 消え失せる ”と 言うことさえ 正しくはない
というのも,それは最初から そこに ありはしなかったのだから
それは ひとつの〈誤解〉なのだ


さて
自分自身の中に はいって行くことをする代わりに
あなたは 私を見ている
そして,あなたは 自分が私の中を見たと 思っている
そして,自分が精神分析医や 心理学者だという理由で
あなたは 決めつける
あなたの その決めつけは ひとつの障壁に なってしまうだろう
なぜならば,私の中に自我(エゴ)など 存在しはしないからだ

そして,私は 宣言したい
自我(エゴ)というものは あなたの中にも 存在しはしない
この心理学者の友人にさえも 私は言おう
自我(エゴ)は 彼の中にも 存在しはしない
自我(エゴ)というものなど 存在しはしないのだ !

それは 存在しない ひとつの 観念にすぎない
ただの 観念なのだ



(07)終わり・・・(08)へ 続く