saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第5話 ーーー 〈無〉の香り (17)

…( 四番目は 自己拡張
所属,所有だ )

子供は 自 分 の家や,自 分 のお父さんや
自 分 のお母さんや,自 分 の学校の話をする
彼は “自分の” 領域を 拡げはじめる

“ 自分の ” というのが 彼の キーワードに なる

もし おもちゃを 取り上げたりすると
彼は そのおもちゃには たいして興味がないのに
「そのおもちゃは 自分のだ
取っちゃ 駄目だ ! 」と言う方に 興味がある
覚えておきなさい
おもちゃには さして興味がない
誰も興味を 示さなければ
彼はそのおもちゃを 隅っこに 放り出して
おもてに遊びに抜け出して行くだろう
ところが,ひとたび誰かが それを 取りたがろうものなら
彼は それを あげたがらない
それは “ 自分の ” ものなのだ


“ 自分の ” というのが “ 自分に ” という 感覚を 与え
“ 自分に ” が “ 自分 ” を つくり出す

そして,覚えておきなさい
こういう扉は 子供たちだけのものじゃない
それらは 一生 あなたに つきまとうのだ
自 分 の 家 と 言うとき
あなたは 子供っぽいのだ
自 分 の 妻 と 言うとき
あなたは 子供っぽいのだ
自 分 の 宗教 と 言うとき
あなたは 子供っぽいのだ


ヒンドゥー教徒が 宗教に関して 回教徒と争いはじめるようなとき
彼らは 子供なのだ
彼らは 自分たちが 何をやっているのか わからない
彼らは 本当には 成熟もしていなければ,大人にも なっていない

子供たちというのは,絶えず
「ぼくのパパは 世界一のパパだ」などと 言い張っている
そして,それと同じことを 坊主たちは 言い争い続けている
「私の神の概念こそ 最高だ
一番 力が ある
本物だ !
ほかのものは まあまあに すぎない ! 」


こういうのは とても子供っぽい態度だ
ところが,それらは 一生 あなたに まとわりつく
あなたは自分の 名前に非常な興味をお持ちだ
私が みんなの名前を変えるとき
何人かの人たちは とても頑固だ
彼らは それを望まない
何人かの人たちは 私に手紙を書いて
「私は サンニャースは 取りたいのですが
どうか名前だけは変えないでください」と 言う
なぜか ?
自 分 の 名前 ーーー

それは 何か大変な財産のように見える
そして,名前なんかに 何もありはしないのだ
だが,30年間,40年間
あなたの自我(エゴ)は その名前でもって 生きのびてきた
自我(エゴ)に とっては,ひとつの扉を閉ざすのは とても 難しい
だからこそ名前を変えてみるのだ

名前など便宣上のものにすぎない ということがわかるように ーーー
それは いつ何どきにでも変えられ得る
そして,私が何も大げさに騒ぎ立てないで あなたの名前を変えてしまうのは そのためなのだ
ほかの宗教でも 名前が変えられる
もしあなたが ジャイナ教の僧侶に なったとしたら
彼らは 大騒ぎする
たいそうな行列や祝典が催される
誰かが 僧侶になるのだ !
さあ,彼は この新しい名前に とても固執するようになるだろう
何ごとかと思うような お祝いや
何ごとかと思うような お祭り騒ぎ
そして,何ごとかと思うような 名誉や尊敬
何ごとかと思うような 大騒ぎ ーーー

これでは 肝心の要点が見失われている
私は あっさりとそれを変えてしまう
あたり前のことのように ーーー

ちょっとあなたに,それは 何でもないのだ
それは 気まぐれなものなのだ
それは ごく簡単に変えられるものなのだ という意識を与えてあげるために ーーー

あなたは,Aと 呼ばれることもできるし,Bと呼ばれることも できる
あなたは Cと 呼ばれることもできる
それは 問題じゃない
実際のところ,あなたは 無名なのだ
どんな名前だっていい
それは ただの実用上の ものにすぎない


五番目の扉は 自己イメージだ
これは 両親との相互作用を通じて
その子供が 自分自身をどうとらえるか ということを指している



(17)終わり・・・(18)へ 続く