saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第5話 ーーー 〈無〉の香り (18)

…( 五番目の扉は 自己イメージだ
これは 両親との相互作用を通じて
その子供が 自分自身をどうとらえるか ということを指している )

賞賛と刑罰を 通して
良かれ悪しかれ,その子供は
彼自身について ある一定のイメージを 持つようになる


子供は つねに両親が自分に対して どのように反応するかを 見守っている
もし彼が あることをやっているとすると
それを彼らが 賞讃するか
あるいは彼に 罰を与えるか ? ーーー
もし罰せられたと 感ずると
彼は「自分は何か 間違ったことをやったんだ
自分は悪いんだ」と 思う
もし何か 良いことをやって賞められると
彼は「ぼくは良い子なんだ
株が上がっているんだ」と 思う
彼は 自分が認めてもらえるように
もっともっと良いことをしようと しはじめる
あるいはまた
もしその両親が 本当にとても厄介な
お話にならないような人たちで
彼らの要求が とうていその子の満たせるようなものじゃない とすると
そのときには,彼は
みんなが 悪いと言うようなことを 全部やりはじめる
彼は反抗して謀叛を起こす


道は 二つある
扉は 同じだ
その子を 賞めて
彼が 自分は “特別な誰か(somebody)” だと感じるか
あるいはまた,もし そう簡単に賞めなければ
今度は 彼氏は
「いいさ
それなら目にもの見せてやる」と 言う
そのときにも また
彼が 自分の存在を感じさせようとするのは 同じだ
彼は ものを破壊しはじめるだろう
彼は タバコを吸いはじめるだろう
彼は あなた方の好まないような物事を やりはじめるだろう

そして 彼は こう言う
「さあ わかったか ?
あんた方は ぼくに注意を払わなくちゃいけないんだ
ぼくを 認めなくちゃいけないんだ
ぼくが “特別な誰か” であって
ぼくは ここにいるんだということを 知らなくちゃいけないんだ
まるでぼくを無視することなんてことは させないぞ」

良い子と悪い子 というのは こうして生まれる
聖人と罪人 ーーー


六番目は 理性としての自己だ
子供は 理性の,論理の
議論の道を学ぶ



(18)終わり・・・(19)へ 続く