saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第5話 ーーー 〈無〉の香り (16)

…( 三番目の扉は 自尊心だ )

これは,自分ひとりで ものをやることを覚える結果としての
その子供の満足感と 関係している
ものをやったり,探検したり,作ったり ーーー
何を覚えるにつけ・・・

たとえば彼が「パパ」という言葉を 覚えたとする
そうすると彼は 一日中「パパ,パパ」と 言い続ける
その言葉を使うためには,ただひとつの機会も のがさない

子供が歩くのを 覚えはじめると
彼は 一日中 がんばっている
彼は 何度も 転ぶ
つまづく
痛い思いをする
だが,また彼は 立ち上がる
それが「自分だって 何かできるんだ ! 」
自分だって 歩けるんだ !
自分だって しゃべれるんだ !
こっちから あっちへ 物を動かせるんだ !
という ひとつのプライドを 与えてくれるからだ


親たちは 気が気じゃない
その子供が 邪魔でしょうがないからだ
その子は いろいろな物を動かしはじめる
親たちには 理解できない
「なんで ?
なんのために ?
どうしてあなたは その本を あそこから持ってきたの ? 」
その子は 全然その本に興味なんか ない !
それは彼にとっては 全部ナンセンスだ
彼には なんであなた方が 年がら年中こんなものを見てばかりいるのか わからない
「あんなものの中に 何を探しているの ? 」ーーー

だが彼の興味は また違う
彼は 物を 動かせるのだ


子供は 動物を 殺しはじめる
蟻が 一匹いる
と,たちまち彼は その上に飛び乗って それを殺してしまう
自分だって 何かが できる !

彼は や る ということを 楽しんでいるのだ
彼は ひどく破壊的になることも できる
もし時計を 見つけようものなら
彼は それを開けるに違いない
彼は その中に 何がはいっているのかを 知りたがる
彼は ひとりの探検家に,ひとりの探求者に なる
彼は いろいろなことを やるのが楽しくてしょうがない
なぜならば
それが 彼の自我(エゴ)に 第三の扉を 与えてくれるからだ
彼は 大得意だ
自分にも できるんだ !


彼が 歌えるようになる ーーー
そうすると,彼は
その歌を 誰かれかまわず 歌って聞かせようとする
誰か お客さんが やって来ると
彼は そこに顔を出していて
誰かが彼に その歌を歌えるようなきっかけを 与えてくれないかと 待ち構えている

あるいは また
踊りを踊れたり,ものまねが できたり何でもいい
それが 何であれ
彼は自分が ただの無力じゃない
自分にだって 何かができる ということを見せたくて しかたがない
こういう “所作 (doing)”が 自我(エゴ)を 持ち込んでくる


四番目は 自己拡張
所属,所有だ



(16)終わり・・・(17)へ 続く