saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第5話 ーーー 〈無〉の香り (05)

…( 無 というのは ひとつの 知 ら な い 状態を言う
あなたの意識に 何の曇りもないとき
あなたは 何でもない
何でもないものは〈真実〉と 完璧に うまくいく )

何でもないものだけが〈真実〉と 完璧に うまくいくのだ

知識には実存の 神秘を包含することなどできない
知識というのは〈神秘なるもの〉に 対立する
〈神秘なるもの〉とは 知られていないもの
知られることのできないものを意味する
基本的に,本来的に,知られ得ざるものーーー

知られざるばかりじゃない,知られ得ないのだ
どうして知られ得ざるものが 知識に還元され得よう ?
知識というのは 浜辺の小石を拾い集め続け
そして ダイヤモンドを 見のがし続けるのだ

知識というのは 凡庸だ
借りものだ
けっして 真正じゃない
けっして オリジナルじゃない
〈真実〉を知るには ひとつの洞察
オリジナルな 洞察が 必要だ
どこまでも どこまでも見抜くことのできる目が必要だ
あなたは 透明なヴィジョンを 必要とする


それだからし
心(マインド)が 知識を 完全に脱ぎ捨てて はじめて
知識を空っぽにして はじめて
それは 知るにいたる
そこに何の知識もないとき
そこに 知識が あ る のだ
なぜならば,そこに何の知識もないとき
そこには 知 る と い う こ と が あるからだ

心(マインド)が 知識をすっかり脱ぎ捨てたとき
裸で,静かで,機能を止めているとき
心(マインド)が 何のためという考えもなく 待機中のとき
ただひとつの 純粋な〈待機〉であるとき
待ち受けてはいるが 何をかを 知らない
お客さんを待ってはいるが 何の心当たりもない
ドアの鍵を はずして お客さんのノックを待ってはいるが
そのお客さんが 誰であるか 何の心当たりもない・・・

どうして予め それを知ることなんか できる ?


もしあなたが 神の青写真を 持ち歩いているとしたら
あなたは 神を取り逃がし続けることだろう
というのも
あなたはいままで〈彼〉を 知ったことなど ないのだからーーー
そう
ほかに 知った人たちはいる
だが,彼らの言ったことは
どれもこれもみな ただの地図にすぎない
私も あなたに ひとつの地図をあげられるだけだ
あらゆる知識は ひとつの地図なのだ
その地図を 崇拝しはじめないこと
地図のまわりに 寺院を建てはじめないこと
寺院というのは そうやって作られてきた

ある寺院は ヴェーダに 捧げられている
また別なものは バイブルに
また別なものは コーランにーーー
そういうものは 地図なのだ !
それらは 本物の土地じゃない
それらは ただの図表なのだ

私があなたに 何かを言うとき
私は 言葉を使わなければならない
いろいろな言葉が あなたに届く
あなたは そういう言葉に飛びかかる
あなたは 言葉を貯蔵しはじめる
心(マインド)というのは 大の貯蔵家だ

そうして今度は,あなたは自分が知っていると 思い込みはじめる


これは 正しい知り方じゃない
正しい知り方は 一切の知識を捨てることだ
それも 一息で捨ててしまうことだ !
ゆっくり少しずつ進んだりしないこと
もしあなたが ことの要点を 見抜いたら
それはまさに この瞬間にも 起こり得る
実際には
要点を見抜く ということは
それを起こらせる ということなのだ
あなたは 特別 何をする必要もない

あなたは知識を 落とすことすら しなくていい
知識には あなたを知者にすることなど できない
ただ,実際には それはあなたを邪魔するだけだという その点を 見抜くことーーー
これを見抜くこと
それが〈革命〉だ
それが〈変身〉なのだ


そして 心(マインド)が 裸のとき
静かで,機能していず
全き 待機の中にあるとき
そのときこそ,そこに〈真実〉が訪れる
そのときこそ,そこに〈真実〉が ある

それはどこからやって来る必要もない
それはずっと そこにあったのだ
ただあなたは あまりにも知識で 一杯だった
それがために,あなたは それをのがし続けていたのだ


〈無〉は 真実を知ることができる
なぜならば,無の中において
知性は全面的に 機能するからだ
ただ 無の中においてのみ
知性は 全面的に機能する
だからこそ・・・
奇跡を見てごらん ?
子どもたちは あんなに聡明なのに
歳を食った人たちときたら
だんだんと 鈍くなってしまう

子供たちーーー
子供たちは ものすごい早さで 物事を学ぶ
あなたが 歳を 取れば取るほど
学ぶことは 難しくなってくる
もしあなたが 歳を取っていて
たとえば中国語を 勉強したいと思っても
それには 30年もかかるだろう
それを,子供なら 3年で 覚えてしまうのだ


いまでは 学者たちは
子供は 少なくとも 4か国語を ごく楽に覚えられると言う
ただ 四つの言語に さらされていれば それでいい
ごく簡単だ
これは最小限だ
最大限は まだはっきりとは わかっていない
もし その中に さらされていたら
ひとりの子供が いくつの言語を 覚えられるものか ?ーーー
それは 本当だ
もしその家庭が多国語の 家庭だと
それは ごく簡単に 起こる
もし その街が 多国語の街だと
それは ごく簡単に 起こる

ボンベイ(mumbai)では それは簡単に 起こる
子供は ヒンディー語,英語,マハラティー語,グジャラティー語 を ごく簡単に 覚えてしまう
子供は ただその中に さらされているだけでいい
子供というのは 本当に聡明で
たちまちのうちに 要点をつかんで それを覚えてしまう
歳を取れば取るほど それは難しくなってゆく
歳取った犬に 新しい芸を仕込むのは とても難しいと言う
そうである必要はないはずだ
もし あなたが〈無〉のままで いたら
そうである必要はない
なぜならば,そのときには
あなたは 一生ひとりの子供であり続けるからだ


ソクラテス
死んでゆくときですらも ひとりの子供だった
彼は依然として 感じやすくて,オープンで,学ぶ用意がある
死からさえも 学ぶ用意があるのだからーーー

彼が 寝台の上に 横たわり,毒が調合されているとき・・・
6時に
太陽が沈むとともに 毒を飲まされることになっていた
ところが,彼は ものすごく興奮していた
子供のようにーーー

彼の弟子たちは 泣き叫び,涙を流している
それを,彼ときたら 大変な興奮のしようなのだ
彼は 何度も何度も 起き上がると
毒を調合している人のところへ行って 聞きただす
「あと どのくらい かかるのかね ? 」
彼の目は 好奇心で輝いていた
そして,その人は 死のうとしているのだよ !

それは そんなに好奇心で 一杯になるべきときじゃない
その人は
何分かあとには 彼の最後の息を引き取ろうとしている
それを,彼は 実に興奮して
実に恍惚としているのだ

そこで ひとりの弟子が尋ねた
「何をあなたは そんなに興奮しているのですか ?
あなたはこれから 死のうとしているのですよ ! 」

すると,ソクラテスは言う
「私は 生を知った
そして私は生から 多くのものを 学んだ
今度は 私は死を知って
死から 学びたいのだ
私が興奮しているのは そのためなのだよ 」


死でさえも
無垢な人には 大いなる経験となる
ソクラテスは無垢だ
西洋は あれ以来
ソクラテスに 匹敵するような人間を 生み出していない
ソクラテスは 西洋の仏陀


もし ひとりの子供のままでいたら
あなたは いつまでも学ぶ力を 持ち続けられる

何が あなたの中に
鈍さや 愚かしさや 凡庸さを つくり出すのだろう ?
知識だ
あなたは知識を 貯め込み
少しずつ,知る という能力を失ってゆく


知識を棄てなさい !
私は あなた方に 知識の放棄を教える
私は 世間の放棄など教えない



(05)終わり・・・(06)へ 続く