saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第5話 ーーー 〈無〉の香り (09)

…( これは心にとどめられるべき 最大の言説のひとつだ
知性とは 恐怖がないときに 現れる
そのとき
行為は全面的に 違った質を持つ )

あなたが あなたの〈無〉から 行為するとき
その行為には 完全に違った性質があるものだ
それは神聖だ
それは神々しい
なぜか ?
それは,あなたが〈無〉から行為するとき
それは 反 応 じゃない からだ
あなたが〈無〉から行為するとき
それは 下稽古されたものじゃない
あなたが〈無〉から行為するとき
それは 内側から 自然に出てくるものだ
そうしたとき
あなたは 瞬間から瞬間へと生きる


あなたは〈無〉だ
ひとつの状況が 立ち現われてくれば
あなたは それに 感 応 する
もしあなたが 一個の自我(エゴ) だとしたら
あなたは けっして 感 応 しない
あなたは いつも 反 応 する

それを説明してみよう
あなたが 一個の自我(エゴ)であるとき
あなたは いつも 反 応 する
たとえば
あなたが 自分のことを とてもとても 善人だと思っていて
そこへ 何かが 起こるとしよう
誰かが あなたを侮辱するーーー

さあ,あなたは この侮辱に 感 応 するだろうか
それとも 反 応 するだろうか

もし自分のことを 聖人だと思っているとしたら
あなたは どう反応するか,どうしたらいいか
三度 考えることだろう
自分の聖人らしさを 保てるようにーーー
さもないと
こんな男に侮辱されただけで すべてが ぶち壊しになってしまう
あなたは 自然でいられない
あなたは 振り返らなくてはならない
あなたは よくよく思いめぐらさなければならない
そして,時は刻々と 過ぎてゆく
それは ほんの一瞬かもしれない
が,時は 過ぎている
それは 自然ではあり得ない
それは 瞬間の中にはあり得ない
その上で,やっと あなたは行動に出る

あなたは こう思う
「これは あんまりだ
もし自分が 腹を立てたら
ーーーそして,怒りは やって来ているーーー
もし 腹を立てたりしたら
自分の 聖人としての面目は 台なしだ
それは こんなものに支払うには高くつきすぎる」

あなたは 微笑みはじめる
自分の 聖人らしさを 守るために
あなたは 微笑む

こんな微笑みは インチキだ
それは あなたから来ているものじゃない
それは あなたの ハートから来ているものじゃない
それは ほんのうわべだけ
顔に 描いてあるだけだ
それは にせものだ

あなたは微笑んでなんかいやしない
微笑んでいるのは あなたの仮面にすぎない
あなたは ごまかしている
あなたは 偽善者だ !
あなたは にせものだ !
あなたは インチキだ !
だが,あなたは 自分の聖人の面子(めんつ)を保った
あなたは過去から
自分の実存について あなたが持っている特定の イメージや観念から動いたのだ
これが 反 応 だ


自然な人間は 反 応 したりはしない
彼は 感 応 する

その違いは 何だろう ?
彼は ただ状況が 自分に作用するのを 許し
その応答が 出て来るのを 許す
それが 何であろうともーーー


過去から生きる人間というのは 予測可能だ
しかし,瞬間から瞬間へと生きる人間は 予測不可能だ
そして
予測可能である ということは ひとつの〈物〉であるということだ

予測不可能である ということは 自由であることだ
それが 人間の尊厳なのだ
あなたが予測不可能である その日・・・
誰も わからない
あなたで さえもーーー

覚えておきなさい
あなたで さえもだ
もしあなたが もうすでに 自分がどうするかを 知っているとしたら
それはもう 感応じゃない
あなたは もう用意万端 整っている
それは 下稽古してある


たとえば,あなたが面接に行くとする
あなたは 下稽古をする
何を 聞かれるか
それに どう答えるか と考える

それは 毎日のことだ
あまりにも 明白だ

毎晩のように 私は 人々に会っている
そこには ニ種類の 人たちがいる
ある人は 既製品で やって来ている
私に何を言うか 考え抜いてある
それを もう用意してある
原稿は できている
あとは ただ それを再生するだけだ

彼は 何を聞こうか,何から何まで 決めてある
そして 私には その人の困難が見て取れる
というのも,彼が私の前に やって来るとき
彼が私の 傍らに坐るとき
それは また違った状況だからだ
ひとつの変化が 起こりはじめる
その雰囲気,その〈現存〉
私に対する 彼の愛
彼に対する 私の愛
ほかの人たちの存在
そこにある 手で触れられそうな〈信頼〉
そこに流れている 愛
ひとつの瞑想的な境地ーーー

そして,それは彼が 前もって考えていたときとは 絶対的に違う
もう何であれ 彼が用意してきたことなど脈絡を持たない
それは うまくそぐわない
彼は そわそわと落ち着かなくなる
「どうしよう ? 」ーーー
そして,彼には 自然に行為するには どうするか
この状況から行為するには どうするかが わからない


彼は 私の前にやって来る
だが,私には そのインチキさが見える
彼の質問は 彼のハートから出てはこない
それは喉のあたりから出てくるだけだ
そこには 何の深みもない
彼自身,もう自分が それを尋ねたいのかどうかも はっきりしない
だが,彼は 用意してきた
それには 何日も かかったのかもしれない
そこで,心(マインド)は こう言い張る
「聞けよ
せっかく用意してきたんじゃないか」ーーー
しかし,彼には その脈絡のなさが見える
たぶんそれは もうすでに答えられてしまっているかもしれない
たぶん 誰かほかの人に答える中で
私は それに答えてしまっているかもしれない
たぶん,まさにその状況そのものが 彼の心を変化させてしまって
それは もう意味をなさなくなっているかもしれない
しかし,彼は 過去から行為する
それが 反 応 するということだ


それでは 格好がわるい
何も尋ねることが なかったりすると
彼は どぎまぎしてしまう
そして,彼は 泣くわけにもいかない
インチキ臭い人間だからだ
そして,彼はただ単に「ハロー」と 言うこともできないし
「私は あなたの前に 一分間
ただ 坐っていたいと思います
何も言うことはありません」と 言うことも できない

彼は この 瞬間から 動くことができない
彼は い ま こ こ に いられないのだ
彼は どぎまぎしてしまう
何か尋ねないと 気が済まない
さもないと みんなが どう思う ? ーーー
「そんなんだったら なぜ最初から ダルシャン(面接)なんか申し込んだりするんだ
何も聞くことがないくせに」 ーーー
そこで彼は 質問する
が,彼はもう その背後に いはしない
それはもう 何の意味もない,腐った古い質問にすぎない
けれども,彼は それを聞く
そして,ときとして
あなた方も 目の前で見たことがあるだろう
何人かの 人たちには
私は いくらでも答え続けて 長い時間をかける
そして,何人かの 人たちには 私はごく短く答える
いつであれ,私が 誰かが インチキだ
彼の質問は インチキだ
ただの 用意された質問にすぎないと見たときには
その人に答えても 意味をなさない
ただ,一応 その人に敬意を表して
私は ちょっぴり話はする
だが,私は もう興味がない
そして,そのインチキ質問者もまた 私が 言っていることに興味なんかない
なぜならば
彼はもう 自分の質問にさえ興味がないからだ
だとしたら,どうして彼が 答えに興味を持てる ?

しかし,そうでない人たちもいる
だんだんと そのインチキ臭さは 消え失せて
サンニャーシンは もっともっと真実の,真正なものになってゆく
そうすると,ある人は ただ坐って 笑う
その笑いが その瞬間に やって来たものなのだ
彼は どぎまぎしたりはしない
彼は それが間違いだなどとは 感じない
そんなことはない
用意された原稿の方が 間違いなのだ


無に 対面したら,あなたは 無でなければ ならない
そうして はじめて そこにひとつの出会いがある
なぜならば,似た者どうしのみが 出会い得るからだ
すると,そこに 大きなよろこびがある
すると,そこに 大いなる美がある
すると,そこに 対話がある
もしかしたら ひと言も 発せられないかもしれない
しかし,そこには 対話がある

ときには,誰かがやって来て ただ坐り
体を揺すりはじめる
目を閉じて 内側に はいって行く
それが私のところへ向かって来る道なのだ


その人自身の 内側にはいって行って
ただただ私の中へ 飛び込んでくる
そして,私が彼の中に 飛び込むのを許す
あるいは,ただただ私の足を頂くか
私の目を のぞき込むかする
あるいはまた,ときには偉大な質問が 湧き上がってくることもあるだろう
だが,それは その瞬間の中にある
そのときには,それは真実だ
そのときには,それは すさまじい力を持っている
そのときには,それは まさにあなたの最も深い核心からやって来るのだ
それは 脈絡を持っている



(09)終わり・・・(10)へ 続く