saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第10話ーーー Q&A 最初の質問 05

(サンニャーシンの) 二番目の特徴は実存的な生き方だ

彼は人はこれを好むべきだとか,あれを好むべきだとか
人はこういう振舞い方をすべきだとか,こういう振舞い方はすべきではないとか
そうしたさまざまな観念からは生きはしない
彼は観念からは生きない
彼は存在に感応する
彼は何がどうあれ彼の全面的なハートをもって感応する
彼の実存は い ま こ こ にある
無礙自在であること
シンプルであること
自然であることーーー
そういったものが彼の特徴だ


彼は既製品の生を生きはしない
彼はどう生きるべきか
どう生きるべきでないかという地図など持って歩かない
彼は生に身を任す
それがどこへ導いて行こうとも
彼はそれとともに行く


サンニャーシンというのは泳ぎ手じゃない
そして,彼は流れをさかのぼろうとはしない
彼は〈全体 whole〉とともに進む
彼は流れに従って流れてゆく
彼があまりにもトータルに流れと一緒に流れるために
だんだんと彼はもうその流れと別々ではなくなる
彼が流れになる
それが仏陀が “ スロタパンナ(srotapanna 預流) ”と呼ぶところのものだ
流れにはいった者ーーー
それは仏陀のサンニャースの第一歩でもある
流れにはいった者
存在の中にリラックスするに至った者ーーー
彼は物事の評価を持って歩きはしない
彼は物事を裁定しようとはしない


実存的な生き方というのは
毎瞬毎瞬がそれ自身で決定しなければならないという意味だ
生は原子的なものだ !
あなたは前もって決定したりははしない
下稽古を取り行ったりはしない
どうやって生きるか準備を整えたりはしない
各瞬間がやって来てひとつの状況をもたらす
あなたはそこにいてそれに応える
あなたは 感 応 する
普通人々は,一種とても奇妙な生を生きている
もし面接(インタビュー)をしに行くなどということになると
あなたは準備を整える
あなたは考えるどういうことが聞かれ
自分はそれにどのように答えるか
どういうふうに坐るか
そして,どういうふうに立ち上がるか
何もかもインチキ臭くなってしまう
それが下稽古してあるからだ
そうして何が起こるか ?
そんなに下稽古して行ったら
あなたはけっしてトータルにそこにはいない
何かが聞かれると,あなたは自分の記憶の中をまさぐる
というのも,それが合おうが合うまいが
うまくいこうがいくまいが
あなたはひとつ用意してきた答えをたずさえている
あなたはポイントをのがし続ける
あなたはトータルにはそこにいない
あなたはトータルにはいられない
あなたは記憶にかまけている
そうするうちに次のことが起こる
外に出て来るときになって
今度あなたは考えはじめる
こういうふうに答えればよかったーーー
これが “階段落ち” というやつだ
ん? 階段を降りて来るときになるとあなたは
「こう答えればよかった,こう言えばよかった」と考えはじめる
あなたはまた 大 賢 者 になる
面接の前,あなたは賢い
その後もあなたは賢い
その中間だけがうまくいかない
そして,その中間にこそ生があるのだ
存在はそこにある


サンニャーシンの三番目の特徴は
自分自身の有機体(organism)への信頼だ



(06)へ続く