saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第10話ーーーQ&A 最初の質問 04

つい先日の夜,サヴィタ(西洋人の女性サンニャーシン)が来て
自分は小説を書いているのだが
どうしたらいいかまるでわけがわからないと言っていた
それはもう終わりにしてもいいところに来ている
だが,それには引き伸ばし得る可能性もある
それはまだ完成していない,と
そこで私は彼女にこう言った
「終わりにしなさい
未完成なところで終わりにするがいい
そうすれば,そのまわりには何か神秘的なものがある
未完成というだけでね……」
そして私はこうも言った
「もしあなたの主人公がまだ何かやり残しているとしたら
彼氏をサンニャーシンにするがいい
そうなったらもう物事はあなたの守備範囲を越えている
そうなったらあなたにどうしようがある ?
ん? そうなったらもうお手上げだ
しかも,物事は成長し続ける」


どんな物語りも
もしそれが完全に終わってしまったらビューティフルではあり得ない
それは完全に死んでしまうだろう


経験というのはつねにオープンなままに残る
というのは,それが未完成だということだ
信条はいつも完璧で仕上がっている
(サンニャーシンの)第一の特徴は経験に対してオープンであることだ


心(マインド)というのは
あらゆるあなたの信条が全部いっしょくたに集まったものを言う
オープンさとは〈 無心(ノーマインド) 〉という意味だ
オープンさとはあなたが自分のマインドを脇に置いて
古い目ではなく何度でも何度でも新しい見方で生を見る用意があることを意味する
心(マインド)はあなたに古い目を与える
それはあなたにまたしても
「これでのぞいて見てごらん」という考えを与えてくれる
しかしそうなると,そのものは色がついてしまう
そうなったら,あなたはそれを見やしない
そうなったら,あなたはそれにひとつの観念を投影するだけだ
そうしたら
〈真実〉はあなたがその上に投影し続けるためのスクリーンにすぎなくなってしまう
〈 無心(ノーマインド) 〉を通して見てごらん !
〈無〉を通して見てごらん
シュンニャータ(sunyata) ーーー
〈無心〉を通して見るとき
あなたの知覚は有効だ
なぜならば
そのときあなたは 在 る そ の も の を見るからだ
そして,〈真実〉は人を開放する
ほかのあらゆるものは束縛をつくり出す
ただ真実のみが人を解き放つ


そうした〈無心〉の瞬間の中で
真実が光のようにあなたの中に差し込みはじめる
この光,この真実を楽しめば楽しむほど
それだけあなたは自分の心(マインド)を落とす力と勇気を持つようになる
遅かれ早かれ,いくら見てもどんな心(マインド)もなくなる日が来る
あなたは何を探してもいない
あなたはただ 見 て い る のだ
あなたのまなざしは純粋だ
その瞬間において,あなたは “ アヴァロキタ(avalokita) ” となる
純粋な目を持って見る者ーーー
それは仏陀の名前のひとつだ
アヴァロキターーー
彼は何の観念も持たずに見る
彼はただただ 見 る


あるとき,ひとりの男が仏陀の顔に唾を吐いた
仏陀は顔を拭うとその男に
「何かもっと言いたいことがあるかね ? 」と聞いた
彼の弟子たちはひどくショックを受け,腹を立てていた


彼の一番弟子アーナンダはこう言った
「これはあんまりです
あなたがいらっしゃるから私たちは何もできませんが
さもなければ,私たちはあいつを殺していたでしょう !
あなたの顔に唾を吐くなんて
それをあなたは
『ほかに何か言うことがあるかね ? 』などとおっしゃるんですからーーー」


すると仏陀は言う
「さよう
なぜならば,唾を吐くというのは何かを言うひとつの言い方だからだ
もしかしたらあの男は
言葉ではとても言い表わせないほど腹を立てているのかもしれない
だからこそ唾など吐いたのだ
言葉で言い表せないようなとき
どうしたらいい ?
笑うか,泣くか
涙を流すか,抱きしめるか,ひっぱたくか
何かするだろう
もし耐えきれないほどの怒りがあったら
どうする ?
充分な強さを持った暴力的な言葉も見つからないーーー
どうしたらいい ?
唾を吐くだろう」


これが仏陀のヴィジョンだ
心(マインド)なしーーー
彼はその男をのぞき込む
どうしたというのか ?
なぜ彼は自分に唾を吐きかけるのか ? ーーー
仏陀は全然その中に巻き込まれていない
彼は唾を吐くのは悪いことだとか
これは無礼で侮辱的なことだとかいう
自分の過去の経験や観念を持ち込みはしない
何の観念も割り込まない
彼はただただ
自分に唾を吐きかけているこの男のこの現実(リアリティー)を見据える
彼は底の底まで案じている
どうしたというのだろう ? ーーー
この男はひとつの障害
言語的な障害をかかえているに違いない
彼は何かを言いたい
だが,彼にはそれをするにふさわしい言葉がない
それゆえにこそ,無器用にも彼は唾を吐くのだ


仏陀
「私が何かもっと言うことはないかと聞いているのはそのためなのだ」と言う

その男は 彼自身ショックを受けた
というのもこんなことは予想外だったからだ
彼は仏陀の面目をまるつぶしにするためにやって来ていた
だが,仏陀は面目などつぶされはしない
仏陀の慈しみはその男の上に降り注いでいる
彼はその夜一睡もできなかった
何度も何度も彼はそのことを考えた
彼にとってはこんなことはとても受け容れ難かった
なんという人間だろう ?
なんというやり口だろう ?
こっちが唾を吐きかけたというのに
あの男ときたらただこう尋ねるだけなんだから
ーーーそれも途方もない愛を持ってーーー
「何かもっと言いたいことがあるかね ? 」


朝早く
彼は戻って来ると仏陀の足元に身を投げて
「どうもすみませんでした
お許しください
私はひと晩中眠ることができませんでした」と言った

すると仏陀は笑ってこう言う
「馬鹿者が !
なぜかね ?
私は完璧によく眠ったよ
なんであなたが
あんな小さなことでそれほど頭を悩ませる必要がある ?
それは私を傷つけたわけじゃない
見てごらん
私の顔は前と同じだ
なんであなたがそんなに気をもむのかね ? 」

するとその男が言うには
「私はあなたの弟子になるために来ました
私をイニシェートしてください
私はあなたとご一緒させてほしい
私は何かユニークな
超人間的なことを目のあたりにしました
けれどもまず私をお許しください」
すると仏陀言う
「それはナンセンスだ
どうして私にあなたを許すことなんかできる ?
私はそれについて別に注意も払っていないのだよ
私は怒ってなどいなかった
だとしたら,どうして私にあなたを許すことなんかできる ?
それにもう 24時間もたっているのだ……」
彼らはガンジス川の堤に坐っていた
そこで,仏陀はこう言った
「ごらん
24時間の内にどのくらい水がガンジスを通過しただろう
それだけの生があなたの中でも過ぎたのだ
それだけの生が私の中も通り過ぎたのだ
それはもう同じガンジスじゃない
私は同じ人間じゃない
実際には
あ な た はけっして私に唾を吐いてなんかいやしない
それは誰かほかの人に対してだったのだ
24時間が過ぎた
そして,あなたも唾を吐いたその同じ人間じゃない
だとしたら誰が誰を許せる ?
過ぎたことは過ぎたことだ」


これが〈 無心(ノーマインド) 〉のヴィジョンだ
それはさまざまな奇跡を演じ得る
サンニャーシンはあらゆるものに対してオープンに生きる


(サンニャーシンの) 二番目の特徴は実存的な生き方だ



(05)へ続く