saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第六章 「 第七の 質問 」 (03)

(…ボーディダルマは 何を意味しているのか ?  )

彼は 言っている ーーー

あなたの いわゆる神聖な行為の後には かならず非神聖なことが従う

なぜなら奥深いところでは、その欲望自体が世俗的だからだ、と

 

皇帝は とまどい、ショックを受け、怒って言った

「では どう思うか

仏陀は 神 聖 な 人 物 ではないのか ? 」

するとボーディダルマは 笑って言った

「 彼は、神 聖 でもなく、人 物 でもない

彼は 完全な〈空〉だ

そこに どうやって神聖さが 存在できよう ?

そこでは神聖さえも 一種の汚物だ

彼は 完全に 静かに黙している

彼は〈空〉だ 」

 

ノーマインドという状態は 神聖でも 非神聖でもない

仏陀は 聖人でも 罪人でもない

彼は 二元性を超越した

仏陀は〈超越〉だ

 

だから 憶えておいてほしい

邪悪なマインドから 神聖なマインドに なることは できるが、そこには 真の変容はない

それは たんに程度の問題に すぎない

ただ ノーマインドだけが あなたを解放できる

 

だから神聖な人間に なろうとしては いけない

「神聖な人間」は 非神聖だ

聖人に なろうとしては いけない

なぜなら その努力は すべてエゴ・トリップに すぎないからだ

新しいゲーム、きわめて巧妙なゲームを演じるマインド ーーー

 

神聖か非神聖かという そのナンセンスを すべて落としなさい

聖人と罪人 ーーー 両方に さよならを 言うがいい

闇と光 ーーー 両方にさよならを 言うがいい

天国と地獄 ーーー 両方にさよならを言うがいい

そうすれば、あなたが 夢想だにしたことのない まったく新しい世界が 現われる

そうなったら、完全な やすらぎがある

そうなったら、平和がある

そうなったら、動揺は ない

そうなったら、ひとつのさざ波さえ たたない

その状態のなかに ブッダフッドがある

そうなったら 苦痛も快楽もない

快楽は 苦痛に異ならず、苦痛は快楽に異ならないからだ

 

では何が そこにあるのだろう ? 

仏陀は それについては 沈黙している

それについては 何も語ることはできない

語ることができるものは 何であれ 二元性の 一部になるからだ

 

もしあなたが それは至福だ といえば

そうなったら、あなたは それは 悲惨ではないと 考える

もし それは光だ と 言えば、それは 闇ではない と 考える

もし それは夏だ と言えば、それは 冬ではない と考える

もし それは花だ と言えば、それは 刺ではない と考える

いずれにしても あなたは 二元性のなかで 考えはじめる

 

仏陀は それについては完全に 沈黙を保つ

それは ただ沈黙の なかでのみ表現できるからだ

それは沈黙だ

どうやって 音声で沈黙を 表現できよう

 

(第七の質問) 終わり・・・第八の質問(01)ヘ 続く