saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第五章 「〈光明〉の味 」 (18)

(…仏陀は あらゆるものが捨てられなければならない、と言う
法(ダルマ)、 非法(ノーダルマ)、体験、偉大な体験、霊的な体験、そして ついには 体験者そのものもーーー )

あらゆるものが捨てられなければならない
何も残らず、何の痕跡さえ残らず
もう何もない という観念さえ 残らなくなったときには・・・


たとえ「もう何もない (無がある)」という観念であっても
その観念が 残っているとしたら、すべてが そこに あることになる
その観念は 全世界を含むのに充分だ
「もう 何もない」と言ったら、あなたは肝心な点を 見のがしてしまっている
あなたは「もう何もない」とさえ 言うことができないのだ
そこで言う者は 誰か ?

そこで観察する者は誰か ?

そこにあるのは 完全な沈黙、絶対の沈黙だけだ


仏陀は ダルマ、宗教とは筏(いかだ)のようなものだ、 と言う
これは彼の有名な言葉だ
仏陀は『マジマー・ニカーヤ』のなかで 言う
「筏という象徴を使うとき
兄弟たちよ
私は あなた方に、持ってゆかずに あとに残すべきものの手本を 教えている
もし人が 筏の助けをかりて大河を 渡ったら
ーーーこちら岸は 疑いと恐れに満ち、あちら岸は 恐怖からの解放と安全があるーーー
人は その筏を 肩に背負って 運び歩くことはない
筏は 大いに役に立ったが、彼は それをあとに残して、それは終わらせる
かくして、兄弟たちよ
筏の象徴を 理解したならば、我々は正しい道を あとに残さなければならない
まして正しくない道は なおさらである」


ヨーガ、タントラなどの あらゆる方法
あらゆる技法、あらゆる瞑想、祈りは、彼の岸に 達するための戦略だ
ひとたび そこに達したら、それらは みな あとに残されなければならない
感謝するがいい
しかし それらを肩に背負って 運びはじめないことだ
そんなことをしたら、あなたは 愚か者だ


あるいは、仏陀は 再び言う
「筏の譬えは
法は暫定的なものとして、目的に至る手段として 扱われるべきだということを示している
その同じことが、〈空〉、 すなわちダルマの否定にも あてはまる
これと同種の結論は、ほかのところでも
どんな病気でも 治せる薬 という例によって 明らかにされている
ひとたび 薬効が あったら、それは病気と共に放棄されなければならない
なぜなら、薬を それ以上使うと また病気になるだけだからだ」


仏陀は 言う
「まさに そうだ
〈空〉と呼ばれる この薬が『実在を信じる』という病気を治したときは、まさにそうだ」

「〈空〉への 執着は、〈実在〉への執着と同じほどに 病気である
健康になった後も〈空〉という この薬を 使いつづける者たちは
再び 自分を 病気にするだけである」


憶えておきなさい
まず人は あらゆるものを 落とし、空(くう)に ならなければならない
それから人は その空(くう)をも 落とさなければならない
その空(くう)は ただの 薬に すぎない
「私は 哲学者ではなく医者だ」と 言うとき、仏陀は 正しい

彼は あなたが しがみつくような教義は 与えない

彼が あなたに与えるものは何であれ暫定的、便宜的なものだ
そして ある日 それは落とされ、忘れられなければならない


すべてが 消えるとき
世界と神、物質と精神、肉体と魂、あなたと私ーーーそのすべてが 消え
ついに、すべてが消えた というその観念さえも 消えるとき
あなたは 到達している
あなたは ボーディサットヴァに なっている

そうすると 問題が出てくる

どうやって この岸に残るか ?

どうやって 一瞬でも ここに いるか ?


あなたは チットパッド、偉大な決意を 生み出さなければならない
「ほかの人たちが 闇の中でつまづいている
私は すでに達成した、私はそれを 分かち合わなければならない」

ーーーその偉大な決意、新しいマインドの創造から・・・
なぜなら、古いマインドは 去ってしまったからだ

古いマインドが去れば あなたは ここに とどまれない
あなたは 新しいマインドを 創り出す必要がある



理解されるべき 二つの言葉ーーー

ひとつは 情熱 passion’ もうひとつは 慈悲 compassion だ
これらは 両方とも passion という語を 含んでいる

情熱は 古いマインド、欲望するマインド、欲望に満ちたマインドだ
すべての欲望が消え、古いマインドが 去ったとき
あなた はただちに 慈悲を生み出さなければならない

そうすれば その慈悲によって あなたは ここに存在できる

あなたは しばらくの間、たとえ小数でも 人々が彼岸に 目を向けるよう 手助けできる

あなたは しばらくの間、たとえ小数でも 人々を導き、道を 示すことが できる



(18)終わり・・・(19)ヘ 続く