saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第五章 「〈光明〉の味 」 (16)

(…これらが 八つの障害物だ
これらが ことごとく消えたとき、人は ボーディサットヴァだ )


次に、この問題が 持ち上がる
「いかにして此岸(しがん)にとどまるか ?」

ただ そのときに はじめて・・・
そのときに あなたは分かち合うべきものを持つ
ーーーあなたの〈無〉だ

そのときに あなたは分かち合うべきものを持つ
ーーーあなたの 楽園だ

そのときに あなたは分かち合うべきものを持つ
ーーー完全な沈黙だ

だが どうやってこの岸に とどまるか ?

どうやって ここに もう少し長く残るか ?


仏陀は言う

“ それは何故か ?
スブーティよ
もしこれらの菩薩たちが
法(ダルマ)あるいは非法(ノーダルマ)という想いを起こしたならば
それによって彼らは
自己を
生けるものを
魂を
個人を捕らえてしまうからだ ”


もしあなたが 内 側 に 何かを 見るとしたら
憶えておくがいい
あなたは まだ 外 側 に いるのだ !

もしあなたが 何かを 見ているとしたら

ーーーたとえそれが、笛を吹く クリシュナ
十字架にかかり 手から鮮血を流す イエス
菩提樹の下で 静かに坐っている仏陀、 であったとしてもーーー

あなたが「内側」で 何かに出くわしたとしたら
憶えておくがいい
あなたは まだ依然として 外側にいる

だからこそ 仏陀は 言う
「もしあなたが 道の途中で 私に出会ったら、ただちに私を 殺しなさい」


人は、見るべきものが 何ひとつない地点にまで 達しなければならない
見るべきものが 何もないときには、見る者もまた 消える

それこそが 憶えておくべき 核心だ



(16)終わり・・・(17)ヘ 続く