saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第四章 「〈彼方〉から 」 第七の質問 (02)

(…これらが その三つの難問だ
第一に、此岸に対して 無執着になること
第二に、その無執着が起こったとき 此岸にとどまること
第三に、此岸に とどまることが できなくなったとき・・・
・・・なぜなら此岸にとどまることが 不可能になる瞬間が きているからだ )


あらゆる ボーディサットヴァは ブッダにならなければならない
あなたは 此岸に しがみつくことは できない
それは 違法だ
あなたが 立ち去らなければならない時点が 来る
少しのあいだくらいなら 執着することは 可能だ
せいぜい 一生のあいだくらいならね
が、それ以上は 不可能だ
そうなったら、あなたは 立ち去らなければならない

一生ぐらいなら 執着できる
すべての根は 断ち切られているが
あなたには 肉体があるから、その肉体のなかに とどまることができる
だから せいぜい 一生ぐらいなら 執着できる
それから あなたは 立ち去らなければならない


そして、第三の段階、ブッダの段階が来る

ブッダとは すでに立ち去っていて、それでもなお 人々を助けつづける人のことだ
だが憶えておきなさい
ボーディサットヴァであって はじめて人々を 助ける第三段階に 入ることができる
さもなければ 第三段階には 入れない


理解されるべき 言葉が 二つある
ひとつは アルハット (阿羅漢)、いまひとつは ボーディサットヴァ (菩薩) だ

アルハットとは・・・
実は その二つは 同じ 境地なのだがーーー
彼においては 世界は断ち切られ、もはや愛着はなく、自我(エゴ) は 消えている
だが、彼は ただちに 彼岸に行く
彼は アルハットと 呼ばれる
彼は 他者のことは 気にかけない
彼は 用意ができたら、単純に 彼岸へ 行く


アルハットは彼岸から 救いの手を 差しのべることは できない
なぜなら 彼は 助け方を知らず、これまで 一度も 人を助ける訓練を したことがないからだ


ボーディサットヴァも アルハットと 同じ境地にいる
彼は 知った、彼は 見た
彼は 真理になった
だが彼は もう少し 此岸に とどまる
そして あらんかぎりの手段を尽くして 人々を助けつづける
彼は その 助ける道を 学んでいる


もしあなたが ボーディサットヴァになって それから彼岸へ行ったら・・・

彼岸では アルハットも ブッダになり、ボーディサットヴァも ブッダになる

彼岸とは ブッダフッドの 岸辺だからだ

だが、此岸でボーディサットヴァだった者は、彼岸からも 助けることができる

彼は さまざまな道や 手段を 見つけ出す

仏陀は 何世紀にもわたって 助けつづけている
いまでも、あなたが 仏陀に 心をひらけば、その助けは あなたにやって来る
いまでも、情熱を こめて 仏陀を愛すれば、その助けは あなたにやって来る

彼は いまなお彼岸から 呼んでいる

だが その彼岸からの呼びかけは あまりにも遠い
あなたは きわめて 注意深く耳を傾けなければならない

私に耳を傾けるより はるかに注意深くあらねばならない
なぜなら その声は「彼(か) の岸辺」から やってくるからだ


遅かれ早かれ、私も行く
もし私に 注意深く 耳を傾けるすべを 学んだら
あなた方の多くは 彼岸にいる私を 聴くことができる


ブッダは 意識の究極の状態だ
ボーディサットヴァフッドを 通過したら、あなたは この世に対して ひらいていられる

あなたは 永遠に 神への窓になる

もしボーディサットヴァフッドを通過しなかったら
あなたは〈無限〉のなかに 消えはするが、あなたに 助けられる人は 誰ひとりいない



(第七の質問)終わり・・・(最後の質問)へ 続く