saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第五章 「〈光明〉の味 」 (13)

(…これが「仏眼」と 呼ばれる
あなたの 二つの眼が融け合って ひとつになる地点に達することだ )

エスは言う
「眼が ひとつのようになれば、そのときには あなたの存在全体は 光に満ちる」
それが 光明を得ることだ
エスの この言葉は美しい
「あなたが 二つのものを ひとつにするとき
内なるものを 外なるものにし
外なるものを 内なるものにし
上なるものを 下なるものにするとき
男と女を ひとつのものにし、男が男ではなく 女が女ではなくなったときーーー
そのときには あなたは神の王国に入るであろう」

あるいは また
「人が 二頭の馬に乗ることは不可能であり、二つの弓をひくことは 不可能である
そして 召使いが 二人の主人に仕えるのも 不可能である
さもなければ 彼は 一人の主人を尊んで 他の主人を怒らせるであろう」

「だが両眼が ひとつのようになれば、あなたの全存在は 光に満ちるであろう」


仏教の伝統では
その ひとつであることのヴィジョン
その ばらばらでないことのヴィジョン
その 全一的なヴィジョン、その全体的なヴィジョン
ーーーそれが 仏眼と 呼ばれる

そして、仏眼を通して見られたものは 何であれ、仏智だ

あなたが 仏眼を持ち、その ひとつであることのヴィジョンで 生を見つめるとき
それはあらゆるものを 結びつける

そうすれば あなたは 全面的に 知ることができる
それ以前 ではない
それ以前は あなたの知識は つねに部分的、断片的で、偏ったものだ


さて、経文 (スートラ) だ

“ それは何故か ?
スブーティよ
これらの菩薩 (ボーディサットヴァ) たちには
自己に対する知覚
生けるものに対する知覚
魂に対する知覚
個人に対する知覚は起こらないからだ
またこれらの菩薩 (ボーディサットヴァ)たちは
法 (ダルマ) を知覚せず
非法 (ノーダルマ) も知覚しない
彼らのなかには知覚も非知覚も起こらない ”



これら八つのものは 智慧の八つの障害物として 知られている
これらは 理解されなければならない

第一に、ボーディサットヴァの定義だ
ボーディサットヴァとは 何か ?

それは 生への誤った姿勢、誤った態度の これら八つの障害物を 越えてきた者だ

第一番目ーーー「自己に対する知覚は起こらない」

これら四つの言葉は 理解されなければならない
それらは ほとんど同義語、ただし「ほとんど」だ

self (自己、自我)
being (生けるもの、存在者)
soul (魂)
person (個人)
辞書のなかでは これらは ほとんど同じだ
しかし仏陀は これらに ちがう色合いを与える
そしてこれらは ちがう色合い、わずかな ちがいを持っている

第一に self とは 自我 (エゴ)を 意味する
自分を構成する五要素から 切り離されてある、「私の」「私のもの」「私」を 意味する
人間は 五つの要素から 構成されている
ただ その五つの 組み合わせに すぎない
その五つを ばらばらにすれば、人間は 消える

仏陀は その五つの要素より ほかには何も 存在しない と言う
それは ちょうど馬車のようなものだ
あなたは 馬車の構成部分を ばらばらにする
車輪を取り、馬を取り、その他のものも すべて取り払う

そうすると最後には、馬車が どこにあるか知りたくても その馬車は消えている
それは馬車が そういう部分の 組み合わせにすぎなかったからだ


これは仏陀の 最大の洞察のひとつだ
ほかのどんな宗教も その高みにまで行っていない

ほかの宗教は すべて、何かしらの「自己」「自我 (エゴ)」という観念で 止まってしまっている
どんなに洗練され、どんなに神聖で、どんなに美徳が あるとしても
まだ何がしかの 自我観念が 残っている
あなたはそれを「自己」とか「魂」とか「真我 (アートマン)」とか 呼ぶ
それを何と呼ぼうと 問題ではない

仏陀は、それについては
あなたの最も深い核心は 空で構成されていることについては、非常にはっきりしている
そこには 自我 (エゴ)は いっさい ない

「私」という言葉は 便宜的なものにすぎない
それは どんな現実にも 一致しない

それは 必要なものだ

仏陀でさえ それを使う
それは意志伝達する手段としては いい
それは指摘はするが、どんな現実にも 一致しない
だから第一の「自己」は、「私は構成要素から 分離している」ということを意味する
仏陀は、あなたは存在しない、そこに存在するのは構成要素だけだ、と言う
あなたは 全き〈虚空〉だ


第二は a being だ
being とは、「個」を 意味する

つまり「異なる時間に 自分を同じものだとみなす 観念」を意味する




(13)終わり・・・(14)へ 続く