saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第五章 「〈光明〉の味 」 (12)

(…現実は ひとつだ
だが 私たちの眼は 二つある )

それゆえに いたるところで現実が 分割される
たとえば、あなたは あるものを愛と呼び、もうひとつのものを 憎しみと呼ぶ
実際のところ、それらは ひとつのものだ
愛と憎しみ というのは それを表わす正しい言葉ではない
そのエネルギーは 同じだ
それは「愛 − 憎」だ
「と」は 落とされなければならない
それどころか、その二つのあいだに ハイフォンを置くことさえできない

「愛憎」は ひとつの言葉だ
「昼夜」は ひとつの言葉だ
「生死」は ひとつの言葉だ
「悲喜」は ひとつの言葉だ
「苦楽」は ひとつの言葉だ
「物心」は ひとつの言葉だ
しかし私たちは 二つの眼を持つがゆえに、あらゆるものが 二つに分割されている
そうして私たちは 何世紀にもわたって 言い争いつづける


そこで、五千年のあいだ 人は、人間は肉体か、魂か、を 言い争ってきた

そこにあるのは 二つのものではない

肉体は 魂の 最も外部の形にすぎず、魂は 肉体の 最も内部の核にすぎない

それらは 二つのものではない

そして 神と世界も 二つのものではない
創造者と 創造物は ひとつだ


これが「仏眼」と 呼ばれる
あなたの 二つの眼が融け合って ひとつになる地点に達することだ



(12)終わり・・・(13)へ 続く