saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第五章 「〈光明〉の味 」 (14)

(…第二は a being だ、 being とは、「個」を 意味する )

つまり「異なる時間に 自分を同じものだ とみなす観念」を 意味する

あなたは 言う
「私は かつて子供だった
いま、私は 若者だ
そして やがて私は 老人になるだろう」

あなたは 自分が継続するもので あるかのような観念を もっている

自分は かつては子供で、次に若者になったが、自分は 同じままだ
これからも 年老いてゆくだろうが、自分は同じままだ、という観念をーーー

だが仏陀は、一瞬一瞬 あなたは変化している、と 言う


彼は完全に ヘラクレイトスに 同意する
あなたは 二度と同じ川に 足を 踏み入れることはできない
川は 流れつづける
子供であったとき あなたは ちがう個人であったし、いまの あなたは 別の個人だ
年をとれば あなたは また別の個人になる

実際のところ、毎日 あなたは ちがっている
一瞬一瞬 あなたは ちがっている


「私は 同じだ」という この観念は なぜ持続するのだろう ?

それが持続するのは、変化は ごく微妙だが あなたの視覚は それほど微妙ではないからだ

それはちょうど 夜に 蝋燭をともすようなものだ
それは 一晩中 燃えるが、朝になると あなたはそれを吹き消して 言う
「私が いま吹き消している炎は 同じ炎だ」

そうではない
炎は たえず変化し、一瞬一瞬、消えては、新しい炎が 生まれている
だが、二つの 炎の 間隔
一つが消え もう一つが生じる その隙間は あまりに微妙で 小さいので あなたには見えない

だから「個」、「存在者」という この観念が 持続する


仏陀は、生は 過程だ、生は物のようではない と言う
それは たえまない動きだ
生は 川だ

仏陀は 言う
現実に 忠実でありたければ、人は言語から すべての名詞を落とすべきだ、と
ただ 動詞だけが 真実だ
「川」は 真実ではなく「川している」が 真実だ
「木」は真実ではなく「木している」が真実だ
「愛」は真実ではなく「愛している」が真実だ
生は 名詞からではなく 動詞から成り立っている


次に 第三のものは soul だ
肉体の中に住んでいる 超越的な力 という観念

ほかのあらゆるものから 分離し、統一や 生気を与える力 という観念だ

それもまた、仏陀は「超越的な力」もまた 存在しない と言う
あなたの内側に 住んでいるものは 何もない

あなたが家で、その家のなかに 主人や住人がいる というわけではない

内側に住むのは ただ純粋な〈無〉だけだ


そして第四は person, 存在という観念だ
何度も生まれ変わり、転生する 永遠不変の実体への信仰だ

これを仏陀は「個人 person」と 呼ぶ



(14)終わり・・・(15)ヘ 続く