saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第2話・・・Q&A 二番目の質問 (06)

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(…あなたの 生の中の名詞や代名詞を落とし
そして,動詞を生かしなさい

仏陀は言う
真実は踊り手の中に見て取れる
そこに踊り手はなく,ただ 踊りだけがある )

川を見れば
そこには ただ川となって流れていること (rivering) だけがある
一本の樹を見れば
そこに樹はなく
ただ 樹であること (treeing) がある
微笑みを見れば
そこに微笑んでいる人など誰もいず
ただ 微笑みが微笑んでいるだけである
愛を見れば
そこに 恋人はいず
ただ 愛していること (loving) だけがある
生は ひとつのプロセスなのだ,と


だが,われわれは
静的な名詞によって ものを考えるように慣らされている
それがトラブルを生む
何ひとつ静的なものなどありはしない
一切が 生々流転している
これと一緒に流れなさい
この〈川〉と一緒に流れなさい
そして,けっして や り 手 にならないこと
何かやっているときでさえも やり手にならないこと
やること ( doing ) はある
だが, や り 手 (doer) などいはしない


ひとたび この洞察があなたの中に定着したならば
ほかに何事もありはしない
〈真実〉というのは
何か達成しなければならないような 目的地 (ゴール) じゃない
それは ごくあたり前の生なのだ
あなたを取り囲んでいる この単純な生が ーー

あなたが もがいていなければ
このただの生が,ただならぬ美しいものになる
そうしたら,樹々は もっと緑だ
そうしたら,鳥たちは もっと豊かな声で歌う
そうしたら,まわりで起こっていることは 何もかも尊い !
そうしたら,ただの石ころが ダイヤモンドなのだ


この単純なあたり前の生を受け容れなさい
ただ や り 手〈doer〉を 落とすだけでいい
そして,私が「やり手を落とせ」と 言うとき
それを落とす “ 人 ” に ならないこと !
そのリアリティーを 見抜くことによって
それは 消え失せるのだ


(二番目の質問 終わり)

(三番目の質問に 続く)