saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第11章 : 光、生命、そして愛 (27)

( チャイタニア、ミーラ、彼、彼女たちは 異なる言葉を話す。

彼らは 踊る。彼らは 歌う。

彼らは 開花へと 上がっていくからだ )

 

そして、開花は 踊りなくして、歌なくして、生命そのものを 祝うことなくしては 起こらない。

だから、ブッダやマハヴィーラは、生に反対しているように見える −−− それは、根っこへと進んで行くからだ。

チャイタニア、ミーラは 生にとても 肯定的に見える。

彼らは 生を愛している。

それは、彼らが 上がっていくからだ。

 

両方の道が 同じ目的地に たどり着く。

どちらの道で行くかは あなた次第だ。

 

もしあなたが 非常に科学的なマインド、数学的なマインドを持っていて、詩的なものが ないとしたら、光へ降りていくのを 選んだほうがいいだろう。

また、もし あなたが 散文志向のマインドを 持っていたら、光へ降りていきなさい。

 

また、あなたが 詩的であり、美的感性の持ち主であり、歌い、踊り、祝うこと ができるのなら、その時は、根源へと 進んではならない。

開花へと 進んでいきなさい。

あなたは 同じ地点に たどり着くだろう。

というのも、一度、花に たどり着けば 種にも たどり着く −−− 花とは、再び戻ってきた種だ。

 

もしあなたが 根っこへと 降りて行けば 

またしても 進むことになる。

 

あなたは 生から進まなければならない。

生は 唯一の橋だ。

それは ただの途中下車だ。 それは 終わりではない。

この岸、あるいは あの岸から 動きなさい。

が、生は じっとしているものではない。

生は、それ自身を越える動きでなければならない −−− この岸であれ、あの岸であれ。

 

基本的には、それらが 動きの 二つの次元だ。

どちらでも 選びなさい ! 

どちらのほうがいい、ということはない。

どちらの道が いいかは、あなた次第だ。

どちらも 同じだ。

だが あなたにとっては、両方 同じではない。

あなたにとっては、ひとつの道のほうが いいに違いない。

それは あなた次第だ。

だから、自分のタイプが 何なのかを 探求しなさい。

 

私が 詩的と呼ぶタイプは 非論理的で、感覚的で、深くトータルに愛することが できる感情志向だ。

 

知のタイプは 感覚的でなく、感情志向ではない。

彼は 骨の髄まで 論理的だ。

 

ある人間は 論理的で、知性的で、知識志向だ。

その違いを 感じなさい。

 

あなたが知識志向なら、あなたのタイプは いつも知、知ることにある。

 

あなたが感情志向、ハート志向なら あなたの探求は 知ることではない −−− 

あなたの探求は 在ること、感じることだ。

 

その両方の道は 最初は違う。

が、終わりには 全てが ひとつになる。

が、はじめは、それらの道は 違う。

 

 

(27)終わり…(28)へ 続く