saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第12章、三番目の質問−(05/終回)

(05)

( ブッダが 肉体を離れて 二十五世紀が 過ぎた。

それでも まだ、ブッダは 我々と 同時代のマインドに属している。

それほど 同じ時代の マインドを持つ者は 

他に 誰もいない )

 

今日の思想家にさえ、ブッダは 古いとは 言えない。

彼は 実に多くのことを 思考していた −−− 何世紀も先を −−− そして、いまだに彼には 現代人のマインドに アピールするものが ある。

どの思想家であれ 

ブッダは その人に アピールするものがある。

彼は 最も純粋なタイプだ からだ。

が、彼のメッセージは、無思考状態の中に 入りなさい、 というものだ。

深く思い巡らした人たち、彼らは いつも「無思考状態の中に 入っていきなさい」と言う。

が、なぜ彼らには、それが ごく たやすいのだろう ? 

彼らは 何の苦労もなく 内側に入れる。

 

たとえば ミーラ、彼女は 感情タイプだ。

チャイタニア、彼も 感情タイプだ。

彼らの感情は 余りにも多すぎて、少数の人、少数の物事に向かってだけ、彼らの愛を留まらせることはできない。

彼らは 全世界を 愛さなければならない。

それが 彼らのタイプだ。

彼らは 限定された愛に 満足できない −−− 愛は 無限なるものでなければならない。

愛は 無限にまで 広がっていくべきだ −−− 

 

ある日、 チャイタニアが 彼の師のところへ行った。

 

チャイタニアは 自身の権威において 光明を得ていた。

彼の名前は ベンガル中に 知れ渡っていた。

 

そしてある日、彼が師のところへ行き −−− その師は ヴェーダンタのマスターだった −−− 自分の頭を 師の足へと置いた。

 

彼はチャイタニアのことをとても尊敬していたから、心配になった。

そして彼は「なぜ あなたが 私の所へ来られたのですか ?

どうなさりたいのですか ?

あなたは 自ら光明を 得られた方です。

そのあなたに、私ごときが 何を教えられましょう」と言った。

 

するとチャイタニアは、「いや、今から私は、無執着の境地に入って行きたいのです。

私は 今まで感覚的な生を 生きてきました。

だから、今からは 感覚のない境地へと進んで行きたいのです。

どうか私の力に なってください」と言った。

 

感情タイプの人間は、そのように動くことができる。

チャイタニアは 動いた。

 

ラーマクリシュナは 感情タイプの人間だ。

そして、最後に 彼は ヴェーダンタへと 動いた。

生涯にわたり彼は マザーの礼拝者であり 献身者だった。

そして、彼は 最後に ヴェーダンタの師、トータプリの弟子となった。

そして、感情のない世界へと 導かれていった。

 

多くの人々が トータプリに 言った。

「どうして、あなたは この男、ラーマクリシュナを 導くことができるのですか ?

彼は 感情タイプの人間でした !

彼にとっては、愛こそが 唯一のものでした。

彼は祈ることならできます。 礼拝することならできます。

踊ることならできます。 エクスタシーのなかに入っていくことならできます。

でも、彼は 無執着の境地へ進めませんでした。

彼は 感情を超えた領域へ 進めなかったのです」と。

すると トータプリは 言った。

「だからこそ、彼は 無執着へ 進めるのだ。

私は彼を 無執着の領域へと導くつもりだ。

あなた方には、その領域へ 進めまい。

彼は 無執着の領域へと 進むだろう」と。

 

あなたが どのタイプの人間かを 判断する 二番目の基準は、もしあなたが 対極へと動けるなら、そのタイプに属する ということだ。

 

だから まず最初に、自分が どんな反応をするかを 見ていなさい。

そして、対極への動きを 見ているのだ。

それらは 二つのことだ。

そして、絶えず内側を 探索しなさい。

 

二十一日間だけ、絶えず これら二つの動きを ノートに つけ続けなさい。

 

一番初めに、あなたが どう反応をするか −−− 最初の反応が 何なのか、種となるもの、スタートとなるもの −−− そして、どの対極へ 楽に動けるか、無思考 だろうか ? 

それとも 感情のない状態だろうか ? 

あるいは、無行動状態だろうか ? 

二十一日の間に、自分のタイプが 理解できるようになるだろう −−− それは もちろん、優位を占めるタイプ の ことだ。

 

ほかの 二つのタイプは、ちょうど影のように あるだろう −−− なぜなら、純粋なタイプは 存在しない からだ。

純粋なタイプは あり得ない。

そんなことは あり得ない。

 

三つ 全てのタイプが 

ひとりの人間の中に 部分として存在している。

ただ 一つのタイプだけが 

他よりも 重要だということにすぎない。

一度、自分が どのタイプの人間かを 知れば、あなたの道は とても楽なものになり、スムーズに 進める。

 

そうすれば、自分のエネルギーを 浪費しなくなる。

 

あなたは 自分のものでない道に 

必要もなく エネルギーを散逸させなくなる。

 

実際、自分のタイプを 見い出すことは 

霊性の探求のために 基本的な必要条件だ。

さもなければ、多くのことをし続けていても 

混乱を 作り出す だけだ。

一種の 崩壊状態を 作り出すだけだ。

 

それが、ギータの中で クリシュナが「スワバウ」−−− あなたの性質、タイプという言葉で 意味していることだ。

その中で 彼は

「自分自身のものでないタイプで 成功するよりは、自分自身のタイプで 失敗して死んだほうがましだ」と 言っている。

 

失敗に終わったほうがいい −−− たとえ失敗に終わったとしても −−− ほかの誰かのタイプに従って成功するよりも 自分自身のタイプに 従ったほうがいい。

 

なぜなら、その成功は 一種の重荷、一種の重圧、一種の負債に なってしまうからだ。

 

自分自身の 性質に従って 失敗してもかまわない。

その 失敗したことでさえ 

あなたを 豊かにしてくれるだろうから。

あなたは その経験を通じて、成熟するだろう。

その経験を通じて、多くを知るだろう。

その経験を通じて、大きくなるだろう。

 

だから、あなたが 自分自身のタイプに従って 失敗したとしても、かまわない。

 

あなたが どのタイプの人間か、どのタイプが あなたの中で 優位を占めているかを 見つけ出しなさい。

その後、 見つけ出したタイプに従って 

精進していけばいい。

そうすれば、その精進は 楽で 

ゴールは より近いものになるだろう。

 

 

三番目の質問 (05)…終わり

 

第13章「在ることを通して越えていく」(01)へ 続く


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