saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第16章「二番目の質問」(11)


f:id:saleem:20230208132830j:image

二番目の質問 (11)

( 人は 選択しなければならない −−− そして、あらゆることは ただの方便だ )

 

二、三日 前、何人か私の友人が やって来て こう言った、「人々は君のことを 神と言っているけど、なぜ それを受け入れるんだい ?」と。

私は 彼らに こう言った、

「そうすることは彼らの助けになる。 それは君たちの 知ったことではない」と。

彼らには私の言ったことが 理解できなかった。

彼らにとっては、あらゆることが 事実だからだ。

そうであるか、そうでないかの どちらかしか 彼らには 考えられない。

私にとっては、あらゆることが 一つの仕掛け、方便だ。

もし誰かが 私のところに 明け渡しにやってくるとしたら 彼には ある方便が必要だ。

もし誰かが 明け渡すために 私のところに来たのでなければ、その方便は 彼には無用だ。 彼には 意味がない。

だが、自分が 何で あるのか、自分が 何を見い出そうとしているのか、どういうやり方で 見い出したいのか、はっきりさせなさい。

あなたに エゴが 捨てられるかね ?

もし できるなら、気づきの 必要はない。

そのときは、深く没入することが 必要だ。

没入するのだ −−− 消え去りなさい ! 

居なくなってしまいなさい ! 

自分を 忘れるのだ ! 

思い出すよりも、むしろ 忘れるがいい。

 

私は あなた方に言った、「グルジェフは『思い出す というのは、一つの技法だ』と言った」と。

 

ミーラにとって、チャイタニアにとっては 忘れる ということが技法だ。

スムリティ −−− 想起することではなく、ビスムリティ −−− 忘れることが。

自分を 完全に 忘れなさい ! 

自分を 完全に消去してしまうのだ ! 

 

もし あなたに それが できなければ 目覚めるための あらゆる努力をするがいい。

その場合は、どんな状況の中にあっても、自分を忘れては ならない −−− 音楽のなかにあっても。

 

マホメッドは、その理由のためだけに 

音楽に 全面的に反対していた。

意志の道において、音楽は 邪魔になる。

 

 

(11)終わり(12)へ 続く