二番目の質問 (05)
( それらは、神は 一つの工夫であり、あなたが自己を明け渡すことができるように、またあなたの明け渡しの 助けになるようにと 考えられた 一つの仮定だと言う )
だから、師は 神になり得る。 師は神だ。
師を神と 感じないかぎり、あなたは 明け渡せない。
明け渡しは、あなたが「マハヴィーラは神だ、ブッダは神だ」と 感じることで可能になる。
そうしたら、あなたは 簡単に明け渡せる。
ブッダが 神であるか、そうでないかは関係ない。
再び、それは 一つの工夫だ。
それは 役立つ。
ブッダは「あらゆる真実は、あなたが光明を得るのを 助けるための 一つの工夫であり、あらゆる真実は、ただ ひとつの便宜上のものにすぎない」と 言ったという。
もし それが機能すれば、それは 真実だ !
明け渡しの道においては 明け渡すことが 唯一の技法だ。
意志の道においては、数多くの技法がある。
それは、あなたが 自分を目覚めさせるために 数多くの努力が できる ということだ。
だが明け渡すだけの場合には、方法はない。
ある日、一人の男が ラーマ・クリシュナの所を 訪れた。
その男は ラーマ・クリシュナに 千枚の金貨を寄付したいと 志願してやって来た。
そこで、 ラーマ・クリシュナは その男に こう言った。
「私には そんなものは必要ない。 でも、あなたがそんな重たい荷物を、家から ダグシネシュワールの私の庵に 運んできたのなら、それをまた持ち帰るのはよくない −−− それは必要ない。
それじゃあ、今からガンジス川へ 行って、その金貨を捨ててきなさい」
そう言われた男は、たいへん困惑し、大いに 戸惑った。
どうしようか ? 彼は ためらった。
でも ラーマ・クリシュナは「あなたはその金貨を 私に寄付したのだから、もうその金貨は あなたのものではない。
そして、私があなたに 捨ててこい と 言っているのだ !
ガンジス川に行って 金貨を投げ捨ててきなさい ! 」と 言った。
そこで、彼は その金貨を捨てなければならなかった。
彼は ガンジス川へ行ったまま、帰って来なかった。
そして 一時間が 過ぎた。
ラーマ・クリシュナは 近くの者に「あの男は どこへ行ったかね ? 行って見つけてきなさい !」と言った。
そこで 何人かの弟子が 行き、その男 連れ戻してきた。
ラーマ・クリシュナは その男に「こんなに長い時間 どうしたんだ ? 何をしていたんだね ? 」と 聞いた。
すると その男を見つけた弟子が こう言った。
「彼は あの金貨を 数えてから、一度に一枚ずつ投げ捨てて いたんです −−− 一、二、三 −−− 千枚とも 彼は金貨を見て、それを数え、それから投げ捨てていました」
それを聞いた ラーマ・クリシュナは こう言った。
「なんと愚かな ! 投げ捨てるなら 数える必要は ないだろうに。
貯めるなら、数える必要はある。
自分が どれくらい金貨を持っているか 数えなきゃならんだろう。
でも、 これから金貨を捨てるというときに、なぜ時間を無駄にするのかね ?
お前さんは、ただ 捨てたらいいんだ !」と。
明け渡し とは、 エゴを 捨てることだ。
そこには、数える ということも 方法もない。
あなたは ただ エゴを捨てる。
(05)終わり(06)へ 続く