saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第14章「事実との直面」最初の質問 (05)


f:id:saleem:20230112171107j:image

(05)

(…文明が 発達すればするほど、エゴを 消し去るのは 難しい −−− )

 

なぜなら、あらゆる発達した文明は、当然、その文明の中で 作り出されたエゴに 堅固な影響をもつからだ。

 

どんな中心も持たずに その混沌を通り過ぎること、一つの混沌であることは、最後には あなたを中心、本当の中心、自己へと 投げ落とすことになる。

 

その混沌の 通り方、エゴの 壊し方には、いろいろな方法がある。

だが、ある一定の期間、どんな中心もない状態でいる 勇気を持つことが 根本となる。

 

明け渡すことで、そうすることも できる。

あなたは、自分自身を 師(マスター)に、誰かに  明け渡すことができる。

もし その明け渡しが 全面的であれば  エゴは なくなるだろう。

あなたは エゴではなく、自己に なることが できる。

だから、 明け渡しは とても難しい。

エゴが 古いもので あればあるほど 明け渡すことは 難しくなる。

 

明け渡しにおいては、自分自身を 捨てなければならない。

あなたは 一つの 影になる。

あなたは ただ、言われた通りに 従うだけになる。

あなたは 言われたことを 考えることは できない −−− あなたは もう存在しない。

 

だが、明け渡しが 深く 考えられる段になると 決まって 人は

「もし 明け渡してしまえば、自分は 個ではなくなってしまう」と 考え始める。

だが、それは 絶対的に 正しくない。

明け渡して 初めて、あなたは 個になれる。

 

なぜなら、エゴは あなたの個性ではない からだ。

それは 偽物だ。 単なる見せかけに すぎない。

もしあなたが 偽物を 明け渡せば 

必ず 真実へと爆発するだろう。

それが 明け渡しの 美しさだ。

 

あなたは 自己を 明け渡すことはできない −−− それは 不可能だ。

 

あなたは エゴしか 明け渡せない。

あなたは 与えられているものしか 手放せない。

あなたは、 自分の自己を 手放すことは できない。

それは 不可能だ。 その可能性は ない。

どうやって 自分の自己を 手放せる ? 

 

自分に 押し込められていたもの、社会が あなたに 深く影響したものなら 手放せる。

実際、自分のもので ないもの、自分ではないもの しか手放せない。

それは 矛盾していて、逆説的に見える。

 

あなたは 自分でないもの しか  与えることはできない。

自分であるもの は 与えられない。

 

明け渡しにおいては 

何であれ 自分自身だと 認知していたものを 手放す。

手放すことの できないあなたが 残る。

偽物が 放り出された時、あなたは 真実と 向かい合う。

 

そこには 二つの 方法、二つの根本的な 方法がある。

一つは 明け渡しだ。

明け渡しにも いろいろな方法がある。

が、根本は 誰かに明け渡す ということだ。

誰に 明け渡すかは 重要ではない。

誰に 明け渡そうが、それは まったく大したことではない。

大切なのは、明け渡す ことだ。

だからたまたま、あなたの師事している師自身が 本物では なくても、もしあなたが その師に 明け渡せば、真の自己に 至ることがある。

 

偽の師で さえ 助けになるということ、死んでしまった師でさえ 助けになる ということだ −−− 

 

肝心なのは、誰に 明け渡すかではない。

肝心なのは、あなた が 明け渡している ということだ。

その起因は あなたの内にある。

誰に明け渡すかは、まったく意味がない。

 

クリシュナは そこにいるかもしれない、あるいは いないかもしれない。

ブッダは 歴史上の人物かもしれない、あるいは そうでないかもしれない。

エスの存在は ただの神話かもしれない −−− でも、それには何の違いもない。

 

もしあなたが イエスに 明け渡せれば、イエスが そこにいようといまいと、事は あなたに 起こるだろう。

 

重要なのは 明け渡すことだ。

だから 一つの方法、一つの根本的な方法は 明け渡しだ。

 

もう一つは、絶対なる 意志だ。

その道は 明け渡すのではなく 

絶対的に 自分自身である ことだ。

あなたが 明け渡しても 自己は 明け渡せない と 私は言った。

何であれ、あなたが明け渡すものは エッセンスではない。

エゴであり 偽物であり、 仮面だ。

 

もう一つの 根本的な道は 全面的に 自分自身であることだ。

明け渡すのではなく、一つの 意志であること だ。

一方で、エゴには 意志というものが ない。

エゴは 意志を持てない。

エゴは 絶対的に 無意志だ。

本当に 存在しないものは、意志という質を 持てないのだ。

意志は 真実に 属する。

あなたは絶対的に 無意志になる。

 

朝、あなたは 何かを決め、午後には 自らキャンセルする。

あなたが 何かを決めているとき、まさに 決めている瞬間、あなたの中の ある部分が、それを キャンセルしている。

 

あなたは「愛している」と言う。

あなたが そう言った まさにその瞬間、その言葉の 奥深くに入って行くと、どこか片隅に 憎しみが隠れている。

 

あなたは「私は こうするつもりだ」と 決める。

そして まさにその瞬間、反対のものが 存在する。

 

意志とは、マインドの中に 何一つ 反対のものがない ということだ。

意志とは、一つである ということ −−− 不二 ということだ。

 

 

(05)終わり(06)へ 続く