saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第18章「意識の光」質疑応答 (23)

(23)

( その 想いを 宇宙に 任せなさい。

宇宙に 明け渡すのだ )

 

または、師に 明け渡すことだ −−− そこに何の違いもない。

肝心なのは、 明け渡すことだ。

 

だが、それは まさに狂気ような道だ −−− まったく いかれている道 −−− 何が起こるか 予測できないのだから。

それは 起こるかもしれないし、起こらないかもしれない。

あらかじめ 知ることはできない。

 

あなたは未知の、地図に載っていない 海を 航海しなければならない。

 

あなたはマスターではない。

あなたは 明け渡した。

その 明け渡しは あなたの抵抗を あなたのエゴを 打ち壊す。

 

そして、明け渡しが 完全になったとき、そこには 光が ある。

気づきが ある。 そこには 開花がある。

あなたは 突然、花開く。

 

そして私が「明け渡しの可能性はある」と 言えば、時には、まるで 簡単なことのように思うかもしれない −−− 

あたかも、意志の道の方が 大変で、明け渡しの道の方が 容易に違いない というように。

そうではない。

ある者にとっては、意志の道のほうが やさしいし 

ある者にとっては、明け渡しの道のほうが やさしい。

それは あなた次第だ。 道によるものではない。

 

容易な道というのはないし、難しい道 というのもない。

それは あなた次第だ ! 

 

もし その道が あなたに合っていれば、その道は やさしい。

 

慧能は 何もしていなかった。

明け渡しの道は、 ある意味で やさしい。

だが、彼が 何をしたか わかっているかね ? 

彼は 明け渡した。 それは 一瞬にして 為された。

が、十二年間 待つこと、

それが あなたに できるだろうか ? 

 

師への不信、多くのことが 心の内に やってくる。

ある者は こう言うだろう。

「そんな男と 一緒にいて、なぜ時間を無駄にしているんだ ?

奴は詐欺師だぞ。 奴は 大勢の人たちを 騙したんだぞ。

大勢の人間が 奴のところにやって来ては去って行った。

それなのに、 お前は ここでいったい、何をしてるんだ ? 」

 

だが、慧能は それを黙って聞いていて、反応しなかった。

それで 終わりではない。

師は彼のマインドに  疑いをもたらすような 多くの多くのことを 作り出しさえした。

そして、急に慧能は こう思った。

「俺は ここでいったい、何をやっているんだ ?

俺は いかれてるんじゃないか ?

こんな男と 一緒にいて。  この男は 何をしているんだ。

もしこの男がしたことが 十二年経って 詐欺だと明らかになれば、俺の人生は 無駄骨だったということになる」と。

 

その師は、 慧能に 疑いが湧き起こり、マインドが機能し始めるような状況を 数多く作り出した。

だが、慧能は マインドの言うことを 聞かなかった。

彼は こう言っていた。

「俺は明け渡した。 明け渡したんだから、今更 引き返すことは できない」

 

明け渡しの道、 それは やさしいものではない。

何ひとつ、 やさしい道などは ない。

が、もし あなたが 道を間違えば、なおさら 難しくなる。

 

そして最後に 私が言いたいのは、我々が いつも 道を間違って選択するのは 自然である、 ということだ。

それには 理由がある。

対極にあるものは、常に 魅力的だ からだ。

だから、我々が 道を間違って選ぶのは 自然なのだ。

そして、すべての選択が 根本的には 性的なものだ −−− 

だから、 男は 女を 選び、 女は男を 選ぶ。

それと同じことが、あらゆる次元で 延々と なされている。

 

もしあなたが 明け渡しのタイプの 人なら 

意志の道を選ぶ 可能性が高くなる。

意志の方が より魅力的だからだ。

それは あなたのタイプと反対だ。

 

もしあなたが 意志の人なら 

明け渡しの道を 選ぶかもしれない。

 

自分とは 別のもの、反対のものは、より魅力的だからだ。

そういうことは、いろんなあり方で 起こる。

 

 

(23)終わり(24)ヘ 続く