saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第16章「二番目の質問」(08)


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二番目の質問 (08)

( 両方の道が 有効だ。

どちらが いいという問題ではない。

それは その道に従う人 次第だ。

それは あなたのタイプによる。

あらゆる道が 有効だ )

そして、そこには、多くの 表に現れていない道、枝分かれした道がある。

それらの いくつかは 意志の道に属し いくつかは 明け渡しの道に属する。

 

道、表に現れていない道 −−− すべてが有効だ。

が、 あなたに すべての道が 有効というわけにはいかない。

ただ ひとつだけが、あなたに有効であり得る −−− あなたの個性に対して。

「全て有効 というのなら、すべての道に従っていける」と 混同してはいけない。

それは できない ! 

 

あなたは 一つの道に 従っていかねばならない。

「真実」は 数多く存在する。

が、あなたは、一つの真実を 選択しなければならない。

 

そこで、探求者にとって まず最初のことは、どのタイプに属するか、その人が どういう人間か、その人にとって 何がいいのか、その人が持っている内側の傾向は何かを、見極めることだ。

 

彼は 明け渡せるのか ? 

あなたは 明け渡せるのか ? 

あなたは 自分のエゴを 消してしまえるのか ? 

もし それが できれば 単純な 明け渡しという方法で エゴはなくせる。

 

だが、それはそんな単純なことではない −−− それは とても難しい ! 

エゴを 消し去るのは そんな生やさしいことではない。

誰かを あなたより 上におき、誰かを 神として崇め、それから明け渡す ということ −−− それは とても難しい ! 

 

ニーチェは こう言った、「もし地獄で一番になれるなら、私は地獄にいたい。

もし天国で誰かの次なら、天国に いたくない。

もし一番であるなら、人は 地獄にいても気分がいい」と。

 

バヤジャットは 偉大なスーフィーの神秘家だった。

彼は 大きな僧院を持ち、世界の さまざまな所から たくさんの探求者が 彼の僧院に来ていた。

ある日、ひとりの男がやって来て、彼に こう言った。

「私は あなたの僧院にいたいのです。 私は ここにいる人達の仲間になりたいのです」

すると バヤジャットは

「ここには 二つのタイプの仲間がいる。

一つは 弟子として ここにいるもの、もう一つは 師として ここにいるもの。

あなたは どちらの仲間に なりたいのかね ? 」と 言った。

 

その男は 真理を見い出すために やって来ていた。

彼は「少し時間を下さい」と 言った。

そこで、 バヤジャットは こう言った、「考える必要はない −−− あなたはもう そのことを想っていたはずだ。 それを私に 言いなさい 」と。

すると彼は「もし師のグループに 入ることができれば、それがいいのですが」と 言った。

 

彼は 真理の探求に やって来たのに、弟子のグループではなく、師のグループに 入りたい と言う。

そこで バヤジャットは こう言った。

「その二番目、 師のグループは 私の僧院にはないのだよ。

今 言ったことは、ただのトリックだ。

だから お前さんは ここから去るがいい。

我々の道は 弟子の道、明け渡すことができる者の道だ。

だからお前さんに 我々は合わないし、我々は お前さんに合わないということだ」と。

 

すると、その男は こう言った、

「もしそういうことなら、弟子になってもいいです」と。

するとバヤジャットは「いいや、その可能性はない。 ここを去るがいい」と言った。

もしあなたが 明け渡せるなら、弟子であることができる。

 

意志の道においては、あなたが 師であり、 弟子だ。

明け渡しの道においては、あなたは 弟子だ。

そして 時として、それは とても 骨が折れる。

 

 

(08)終わり(09)へ 続く