saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第16章「二番目の質問」(07)


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二番目の質問 (07)

( ヨギは 意志の道の途上に あり 

バクタは 明け渡しの道の 途上にある )

 

だから、彼らは まったく違う 言葉を話す。

そこには 橋は 存在しない。

 

ヨギは 存在しようと している。

バクタは 不在であろうと している。

ヨギは 意識的であろうと し 

バクタは 全面的に意識を 失おうと している。

そうなると、無論 彼らは正反対の言葉を 喋ることになる。

だから、そこには たくさんの論争、たくさんの議論が 存在する。

が、 それらの議論、それらの 論争は 本当は 真のバクタのものでも、真のヨギのものでもない。

それらの論議は、学者達や 研究者達の ものだ。

献身に ついて、ヨーガに ついて 考えている者、

彼らは そこにある問題について 延々と議論し続ける −−− だが、 出合う ポイントが ない。

なぜなら、その出合うポイントには 

体験を通じて 初めて 到達するからだ。

 

もしあなたが 言葉の意味や 

学者用語に とらわれていれば、混乱するだろう。

チャイタニアや バクタは 

マハヴィーラが使っていた言葉を 話せない。

彼らは 同じ道に属さない。

だが彼らは、最終的には 同じポイントに 到達する。

しかし、同じ道を行くことは 決してない。

だから、道の途上での 彼らの体験は 

まちまちであって 当然だ。

究極的な 歓喜(エクスタシー)は 同じだ。

が それは 言葉にはできない、それが 問題だ。

究極の体験は 同じだ。が、それは 表現不可能だ。

表現できるものは すべて、道の途上の経験に すぎない。

そして、それらの道は 土台が違うし、反対の ものだ。

 

マハヴィーラは、その道において ますます統一していき、ますます自己に統一していくだろう。

一方、チャイタニアは、その道において 自己というものが どんどん少なくなっていくだろう。

彼は、自己を 神の御足に 投げ出し続ける。

だが、それは マハヴィーラには 自殺のように見える。

そして チャイタニアに とっては、マハヴィーラの道は 実に エゴイスティックに 見えるだろう。

 

マハヴィーラは「神など 存在しないのだから、明け渡すな」と 言う。

実際、マハヴィーラは 明け渡すことができないようにさせるためにだけ、神の存在を 否定した。

もしヨーガが 一つの工夫として 神を提起したとすれば、マハヴィーラも また、一つの工夫として「神は存在しない」と 提起する −−− 意志の道の 工夫として。

 

もし神がいれば、意志の道を 進んでいくことは できない。

それは 難しい。

もし神が いるとすれば 

あなたより 優れた力を持つ存在がある ということだ。

とすれば、どうして あなたは 真正に自己でいられるだろう ? 

マハヴィーラ 曰く

「もし神が いれば、私は いつも拘束の中に いることになる。なぜなら、それは いつも何かが 私より上にある ということだからだ。

もしあなたが、神が この世界を創造し、私を生み出した と言えば、その後、私は どうすればいい ?  だとしたら、私は 神の手の内の 操り人形でしかない ということだ。

そうしたら、自分の 意志はどこへ行ってしまう ?  だとすると、自分の意志が 存在する可能性はなくなる。

そこには 深い運命論だけが 存在する。

そうなると、何も することができない」

 

だから、マハヴィーラは、ただ意志の道における 一つの工夫として、神を なくしてしまった。

「神は 存在しない」

マハヴィーラは言う、「あなたが神だ。 他の誰も 神ではない。

だから、明け渡しの必要はない」と。

 

チャイタニアは 神に帰依すること −−− シャラナム −−− を 基本的な宗教的努力として 使った。

一方、

マハヴィーラは決して帰依しないこと −−− アシャラナム −−− と言った。

 

無論、シャラナムと アシャラナム、神に己を明け渡し、帰依すること、 それと自分を除いて神など いないのだから、決して誰にも帰依しないこと −−− それらの道は、まったく正反対の立場を とる。

だが、それは 最初だけの話で 

その道を進んでいく途中で、同じことに到達する。

 

エゴを明け渡すか −−− その場合、あなたは 何もする必要がない。

あなたは ただひとつのことを しなければならない。それは エゴを明け渡すことだ。

そうしたら、あなたは 何もする必要はない。

そうすると、すべてのことが 起こり始める。

もし エゴを 明け渡せなければ あなたは たくさんのことを せざるを得ない。

あなたは 己と戦い、奮闘しなければならないからだ。

 

両方の道が 有効だ。

どちらが いいという問題ではない。

それは その道に従う人 次第だ。

それは あなたのタイプによる。

あらゆる道が 有効だ。

 

 

(07)終わり(08)へ 続く