saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第18章「意識の光」質疑応答 (19)


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(19)

( 無意識は 疑いを知らない。

無意識は 絶対的に 忠実だ。

絶対的な信、信頼を持っている。

無意識には 論理は存在しない。

無意識は 逆らえない。

だから、言われたことを 何でも 信じてしまう )

そこに 問題はない。

 

だから 明け渡しの道においては、信 −−− シュラッダが とても強調されるのだ。

信は 明け渡しの道に 関する。

それは 明け渡しの道に属する。

明け渡しの道では、言われたことは 何でもしなさい。

それが昼でも、 師が 夜だ と言えば それを信じることだ ! 

なぜ ? 

信じることが、弟子の質問や 抵抗の習慣を 打ち破るからだ。

最終的には、その 信の姿勢は、障害となっている 意識のマインドを破壊する。

意識のマインドが なければ、師と あなたは 一つになる。

その時、あなたは働きかけることができる。

それ以前ではない。

そうして初めて、以心伝心の関係がある。

あなたは 深い交感のなかにある。

その時、導師(グル)が 考えることが何であろうと それは あなたの 一部になる。

今や グルは、自分が欲することは 何でもできる。

 

あなたは グルに対して 完全に ただ受容的になり 

師と弟子のあいだには もう何の争いもない。

でなければ、師弟関係は 闘いだ。

 

そこには交感が、深い出会いがある。

 

そこで 慧能は 言った、「私は知らない。

ただ明け渡しただけだ。 それが私のした 全てだ」と。

 

「私は いろいろと試み、苦闘してきたが、何の至福も 見つからなかった」と呟いた。

 

「もしかしたら、自分が あらゆる惨めさの原因なのかもしれない。

もし 意志の道を 選んでいたら、また同じ選択をし、また同じ惨めな境涯にいるだろう。

結果が どんなものであれ、その中に私の存在がある。

私は あらゆるところで、あらゆる試みをしてきた。

それでもし私が 惨めであるなら、自分自身を落とし、何が起こるのかを 見たほうがいい。

それで私は、師に 明け渡します、 と言った。

それから十二年、ただ待った。

師が 何をしていたか わからないが、多くのことが起こっていた。

私は 変容していた。変容させられ、変えられた」。

 

 

我々の 無意識のマインドは 関わり合っている。

それらは 一つだ。

意識のマインドに関する限り 離れ小島だが、 さもなければ 離れ離れではない。

より深いマインドは 一つに結ばれている。

 

 

 

(19)終わり(20)ヘ 続く