saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第18章「意識の光」質疑応答 (16)


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(16)

( ある一つの名前、または 音を反復して 唱えることは 

住むための家を 造っている ということだ。

それは ある環境を 内側に作り出す )

 

もし そういう環境を作り出すなら、突然のハプニングとして悟りを開くより もっと簡単に、そのマントラを使って うまくやることができる。

すると だんだん、あなたは その音に慣れ、深い意識のなかで その音とつながることができる −−− 

が、本当のこと、 根本的なことは、その 音を意識する ということだ。

 

ジャパの科学は こう言う。

「自分で口に出した音を 聞くとき、あなたは 達する。  そのとき、 あなたは ジャパを 完成させる」

ジャパの中には 多くのことがある。

あなたが 一つの音を 聞き分ける時、たとえば「ラム」という音。

あなたの 末端の器官、 声帯が その音を作り出すことに使われる。

または、あなたが 心の中で 音を作り出す時 あなたのマインドが 使われている。

だが、 あなたが それに油断なく 醒めているとき 

その油断なさが 音の中核に なる、 周辺ではない。

 

私が「ラム」と 言うとする。

それは 私の存在の 周辺にある。

 

私が 内側で その音「ラム」を 聞くとき それは私の 中心から だ −−− なぜなら、気づきは 中心からのものだからだ。

 

もしあなたが 中心で 気づいていれば 

その時、あなたは 内側に 光を有している。

そうしたら、無意識を 追い払うことができる。

マントラは ひとつの技法として使える。

 

他に 数多くの方法がある。

だが どんな方法であれ 

それは 気づきを生み出すための 努力にすぎない。

あなたは、気づきから逃れることはできない。

気づきは 不可欠だ。

自分の好きなところから始めてもいい。

が、意識が ゴールだ。

それらは みな、 意志を使う方法だ。

あなたは 何かをするといい。

 

そして 少なくとも、一つは 明け渡しの方法 −−−

明け渡しの道のことを 話しておいた方がいいだろう。

 

慧能(フイハイ)は 禅の師だった。

彼が はじめて彼の師のところに 行ったとき、師は彼に こう言った。

「 選べ !

お前は意志の道が いいのか ?

それなら 何か教えてやろう。

それとも、明け渡す用意が できておるのか ?

もし意志の道を選ぶのなら、お前は 何か しなければなるまい。

わしは ただ、 案内人になれるだけだ」

 

意志の道においては、ただ ガイドがいるだけだ。

そこには 実際、グルも師も 存在しない。

ただ 単に ガイドがいるだけだ。

それらが あなたを導く。

あなたが 全てを しなければならない。

ガイドには 何もできない。

そこで 師は、こう言った。

「もしお前が 意志の道を 進みたいのなら、わしは お前の案内人になり、導き、 技法を授けよう。

だが、お前が全部しなければならない。

そしてもし 明け渡しの道を 選ぶなら、お前は 何もしなくていい。  わしが全部やる。

だが その場合、お前は ただわしの影になり、ただ ついて来なきゃならん。

疑うことは許されん。  質問は許されん。  聞くことは許されん。

わしが言ったことは どんなことでも するのだ」と。

 

慧能は 明け渡しの道を 選んだ。

そして 三年が 過ぎた。

 

 

(16)終わり(17)ヘ 続く