saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第18章「意識の光」質疑応答 (20)


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(20)

( 我々の 無意識のマインドは 関わり合っている。

それらは 一つだ。

意識のマインドに関する限り 離れ小島だが、 さもなければ 離れ離れではない。

より深いマインドは 一つに結ばれている )

 

もし私が あなたに話をすると 

私のメッセージを伝えるのに 二つの方法がある。

 

一つは、 あなたの 意識のマインドを通して 伝えることだ。

それが 苦闘の方法だ。

あなたの 意識のマインドは 

与えられた メッセージについて 考え続けるからだ。

意識のマインドは 受け入れることができない。

まず始めに、意識のマインドは 否定する必要が ある。

 

最初に 意識のマインドが 言うのは「ノー」だ。

その後、ごく ためらいながらしか 

「イエス」は やって来ない。

 

エスは どうしようもない時、初めてやって来る。

ノー と言えない。 どうやっても ノーと言う方法が 見いだせない。

ノーと言えない状況だ。 ノーと言うだけの理屈がない。

だから イエスと 言う。

 

そうしたら、あなたのイエスは 無能で 弱く 

ただの どうしようもなさから 出てきたにすぎない。

 

ノーと言えるだけの 別の理屈が見つかった時、あなたは 再び エネルギーが脈動しているのを 感じるだろう。

あなたの ノーは とても有能だ。

そして、イエスの方は まったく死んでいる。

 

ノーは 意識のマインドで 生き生きとしている。

意識のマインドは 絶えず葛藤状態にある −−− 

守り、 恐れ、 恐怖心で あたりを見回している。

意識のマインドは 信頼できない。

意識のマインドは 心からイエスと言えない。

たとえ イエスと言ったとしても それは いつも その場かぎりだ。

意識のマインドは、本当の ノーが来るのを待っている。

その ノーが来たら、ノーと 言う。

だから、あなたは 一人の人を説得できても 

彼を 改心させることはできない。

彼は もう何も言えないと 思っていても、心の内、心の奥深くでは、自分の方が正しくて、あなたが間違っている と証明するような何かが、どこかに 見つかるに違いないと思っている。

 

彼が ノーと言えないのは、その場だけだ。

だから、彼は あなたの言い分を 受け入れる。

が、受け入れることは 改心ではない。

それは その場だけの 負けであり、彼は 心に傷を受けたと思っているし、その仕返しをしてやる と 思っている。

そのことは、今の世代において 顕著な 一つのあり方だ。

 

人に 何かを伝える場合、あなたは意識のマインドを通して 相手に伝える。

昔は、それとは まったく逆の方法が使われていた。

 

 

(20)終わり(21)ヘ 続く