saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第18章「意識の光」質疑応答 (21)


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(21)

( 人に 何かを伝える場合、あなたは意識のマインドを通して 相手に伝える。

昔は、それとは まったく逆の方法が使われていた )

 

その意識のマインドを 落として 

無意識を 通して 直接相手に 伝えるのだ。

その方法なら時間を 節約できるし、エネルギーを節約できるし 不必要な奮闘を しなくて済む。

それが 明け渡しの意味だ。

 

明け渡しとは、あなたが こう言うことだ

「私 というものは もう存在しません。

今や、 あなたが おっしゃることには何でも従います。

何度も何度も、あなたの おっしゃる通りにする と 決意することはありません。

今や、 すべての決意において、問題は 何もありません。

私は最後の、 究極の意志決定をしたのです」

 

意志のマインドでは、あらゆる瞬間に 何度も何度も、意志決定しなければならない。

 

明け渡しているマインドでは、あなたは一度、意志決定した。

あなたは 選択した。 そうすれば 迷いはなくなる。

 

疑わなければ、疑問を 差しはさまなければ 

だんだんと 意識のマインドは 力を失う。

それは 一つのメカニズムだからだ。

意識のマインドは、使わなければ 機能しなくなる。

もしあなたが 足を十二年間 使わなければ 

足は機能しなくなる。

そうしたら、歩けなくなる。

だから、慧能は 十二年間、明け渡しの心持ちで ずっと待ち続けていた。

彼には 考えられなかった。 議論することが できなかった。

彼には ノーと 言えなかった。

 

エスが 彼の方法になった。

エスが 力を持ち、イエスが 強くなり 活力を持つようになった。

ノーというムードは 彼の中に まったくなかった。

その状態では、直接の変容が 可能だ。

そうなると、師には 多くのことが 可能になる。

師は弟子を 貫く。

師は弟子を 変容し始める。

弟子が 内側から 変容されればされるほど 

弟子は 意識的になっていく。

だが、それは 弟子のすることではない。

 

 

(21)終わり(22)ヘ 続く