(… 二つの道だ。
内なる光に浸るか、それとも内なる愛に浸るか )
それを決めれば、恩寵の法則が 働きはじめるその境、入口に、あなたは いる。
内側へ進み、源を見い出しなさい。
あるいは 外へ進み、最愛なる者を見い出しなさい。
そして、次のことも 心に留めておきなさい。
もしあなたが 源を見いださねばならない としたら 内側へ進むこと。
もし最愛なる者を見いださねばならない としたら 外側へ進むこと。
でも、物質的なことのためにも あなたは外へと動く必要がある。
最愛なる者のためにも、外へと動かねばならない。
その 態度は異なるが、その動きは 同じだ。
最愛なる者を見い出すとは、あなたが遭遇する あらゆる物事のなかに “ それ ” を見い出す という意味だ。
外へと 動きなさい。
そして、どんどん 見い出していく。
そして、どこもかしこも最愛の者以外に 何も残っていない というような瞬間を、招きなさい。
そのとき、あなたは 愛に浸る。
結果は同じことだ。
あるいは 内側へ動く。
もしあなたが 内側へ動いていくなら 「神」という言葉そのものさえ、捨ててしまってもいい。
古いヨーガの テキストの中には 「神」という
言葉は まったく使われていない。
最近のヨーガの テキストの中でさえ、神という言葉は ただ修行のために、手段として 使われているにすぎない。
“ それ ” に到達するために、神という言葉を 一つの手段として使っているのだ。
あなたは それを 捨てることができる。
それは なくてもいいものだ。
だから、 ブッダは 何ひとつ
神 という概念を持たずに 到達した。
マハヴィーラは 何ひとつ
神という考え方を持たずに 到達した −−−
が、ミーラは 神という概念なくしては 到達できない。
チャイタニアは 到達できない。
なぜなら、もしあなたの道が 愛の道ならば
神という概念は 欠くべからざるもの だからだ −−− もし 神がいなければ どこに最愛なる者を 見つけるのだろう ?
が、進みなさい !
生の中に じっとしていては駄目だ。
光のほうに、愛のほうに 進むことだ !
(32/終回)終わり・・・