saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第11章 : 光、生命、そして愛 (32/終回)

(… 二つの道だ。

内なる光に浸るか、それとも内なる愛に浸るか ) 

 

それを決めれば、恩寵の法則が 働きはじめるその境、入口に、あなたは いる。

 

内側へ進み、源を見い出しなさい。

あるいは 外へ進み、最愛なる者を見い出しなさい。

 

そして、次のことも 心に留めておきなさい。

 

もしあなたが 源を見いださねばならない としたら 内側へ進むこと。

 

もし最愛なる者を見いださねばならない としたら 外側へ進むこと。

でも、物質的なことのためにも あなたは外へと動く必要がある。

最愛なる者のためにも、外へと動かねばならない。

その 態度は異なるが、その動きは 同じだ。

 

最愛なる者を見い出すとは、あなたが遭遇する あらゆる物事のなかに “ それ ” を見い出す という意味だ。

外へと 動きなさい。

そして、どんどん 見い出していく。

そして、どこもかしこも最愛の者以外に 何も残っていない というような瞬間を、招きなさい。

そのとき、あなたは 愛に浸る。

結果は同じことだ。

 

あるいは 内側へ動く。

もしあなたが 内側へ動いていくなら 「神」という言葉そのものさえ、捨ててしまってもいい。

 

古いヨーガの テキストの中には 「神」という

言葉は まったく使われていない。

最近のヨーガの テキストの中でさえ、神という言葉は ただ修行のために、手段として 使われているにすぎない。

“ それ ” に到達するために、神という言葉を 一つの手段として使っているのだ。

あなたは それを 捨てることができる。

それは なくてもいいものだ。

 

だから、 ブッダは 何ひとつ 

神 という概念を持たずに 到達した。

マハヴィーラは 何ひとつ 

神という考え方を持たずに 到達した −−− 

が、ミーラは 神という概念なくしては 到達できない。

チャイタニアは 到達できない。

なぜなら、もしあなたの道が 愛の道ならば 

神という概念は 欠くべからざるもの だからだ −−− もし 神がいなければ どこに最愛なる者を 見つけるのだろう ? 

が、進みなさい ! 

 

生の中に じっとしていては駄目だ。

光のほうに、愛のほうに 進むことだ ! 

 

(32/終回)終わり・・・