saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第11章 : 光、生命、そして愛 (31)

( 自分であることを 主張しなさい。

そのなかに 傲慢さは ない。

「自分を自分のままでいさせる」というのは シンプルな法則だ )

だが、あなたが 他の道にいる人と 話し始めれば 遅かれ早かれ、、相手の中に 引き込まれてしまうだろう。

そのとき、もしあなたが 感情タイプの人間なら 相手に 直接言いなさい。

「私は 論理や議論には まったく関心がありません」と。

そこで議論 してはならない。

相手と 同じ言葉、同じ立場で 話してはならない。

ただ こう言うのだ、「私は 道理のわからない人間です。

私は 何も証拠もないこと を信じています −−− でも、 その信仰は 私に役立っています。

だから、私には それが 正しいという 証拠のようなものは必要ありません」と。

 

きわめて致命的なことが、人間のマインドに 起こった。

それは、有識者たちが 自分達のタイプを、唯一 正しいタイプとして 人々に 押しつけたことだ。

 

彼らは世界中に

「自分たちこそ 唯一正しいタイプで、他の みんなは間違っている」という考えを 押しつけた。

教育は 彼らの分野だ。

学校は 彼らのものだ。

大学も 彼らのものだ。

彼らは 文学を生み出し、議論を生み出し、証明すること、その証明が 正しくないこと を証明することを作り出し、哲学を 生み出した。

 

というように、彼らは 世界を支配し過ぎてしまった。

 

そして 感情志向(タイプ)の人間は 

ただただ 劣等感を 感じている。

感情志向の人は 

どこにも 行き場がないように感じている。

実際、感情の 教育というものは 存在せず 

知識の教育だけが 存在している。

 

だから、彼は 感情という 言葉さえ知らない。

彼は ハートの論理を 知らない。

彼は まったくそういうものを 知らない。

だから、彼は 罪悪感を感じるのだ。

 

もし彼に 信仰があれば 

もし彼が 神への愛を 育んでいれば、罪悪感を感じる。

彼は 自分が 間違っている と 感じる。

絶対に そのように思っては いけない。

 

常に 自分自身のプラスに なるような想いを 持つことだ −−− 自分が どんな存在なのか、 自分の本質は何か −−− 

それから 決めなさい。

というよりも、自分の 本質に決めさせなさい。

 

それらが 二つの道だ。

内なる光に浸るか、それとも内なる愛に浸るか。

 

 

(31)終わり…(32)へ 続く