( その両方の道は 最初は違う。
が、終わりには 全てが ひとつになる。
が、はじめは、それらの道は 違う )
もしあなたが ミーラの所に行って、彼女に
「これが真理を知る方法だ」と 言えば、ミーラは
「真理を知って 私は どうすればいいの ? 何をすればいいの。
私は真理を 愛したいだけなのよ」と 言うだろう。
でも、どうやって あなたに真理を愛することができる ?
だから、バクタたちは 決して真理について 語らない。
彼らは 愛する人について 語る。
彼らは 友人について 語る。
彼らは 感情の見地で ものを語るのだ !
「神は真理なり」という表現は、彼らには 数学的に見える。
ヴィノバは「神は数学者であるに違いない」と 言う。
神は 数学者ではない。
が、ヴィノバのマインドは 数学的だ。
彼自身の 数学への愛が、神を数学者にしているのだ。
ピタゴラスにとっては、神は数学者だ。
それは あなた次第だ。
もしあなたが 神を、愛する人、友人、恋人と感じるなら、神を真理と 感じられないのなら、上がって行きなさい。
開花へと 垂直に進んでいきなさい。
そうすれば、あなたの瞑想は より創造的になるだろう。
詩を作りなさい、絵を描きなさい。
踊りを創作しなさい、歌を作りなさい −−− それらの全てを 通じて、あなたは 内なる輝きに至るだろう。
が、もしあなたのタイプが 知のタイプならば
神を恋人と 呼ぶことは、まったく馬鹿げている。
一体あなたは 何を言っているのか ?
どうして 真理が恋人であり得る ?
神を 父と呼ぶのは 無意味だ。
どうして神が 父であり得るのかね ?
神は 真理ではあり得る。 というように、
もしあなたが 知のタイプならば
垂直に 下へ進みなさい。
高み ではなく、深みへと 進むがいい −−− 根っこへと、源へと。
(28)終わり…(29)へ 続く