saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第11章 : 光、生命、そして愛 (28)

( その両方の道は 最初は違う。

が、終わりには 全てが ひとつになる。

が、はじめは、それらの道は 違う )

 

もしあなたが ミーラの所に行って、彼女に

「これが真理を知る方法だ」と 言えば、ミーラは

「真理を知って 私は どうすればいいの ? 何をすればいいの。

私は真理を 愛したいだけなのよ」と 言うだろう。

でも、どうやって あなたに真理を愛することができる ? 

 

だから、バクタたちは 決して真理について 語らない。

彼らは 愛する人について 語る。

彼らは 友人について 語る。

彼らは 感情の見地で ものを語るのだ ! 

「神は真理なり」という表現は、彼らには 数学的に見える。

 

ヴィノバは「神は数学者であるに違いない」と 言う。

神は 数学者ではない。

が、ヴィノバのマインドは 数学的だ。

彼自身の 数学への愛が、神を数学者にしているのだ。

ピタゴラスにとっては、神は数学者だ。

それは あなた次第だ。

 

もしあなたが 神を、愛する人、友人、恋人と感じるなら、神を真理と 感じられないのなら、上がって行きなさい。

開花へと 垂直に進んでいきなさい。

そうすれば、あなたの瞑想は より創造的になるだろう。

詩を作りなさい、絵を描きなさい。

踊りを創作しなさい、歌を作りなさい −−− それらの全てを 通じて、あなたは 内なる輝きに至るだろう。

 

が、もしあなたのタイプが 知のタイプならば 

神を恋人と 呼ぶことは、まったく馬鹿げている。

一体あなたは 何を言っているのか ? 

どうして 真理が恋人であり得る ? 

神を 父と呼ぶのは 無意味だ。

どうして神が 父であり得るのかね ? 

神は 真理ではあり得る。 というように、

もしあなたが 知のタイプならば 

 

垂直に 下へ進みなさい。

高み ではなく、深みへと 進むがいい −−− 根っこへと、源へと。

 

 

(28)終わり…(29)へ 続く