saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第11章 : 光、生命、そして愛 (13)


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(… Aから 下へ降りて行きなさい。

水平線から、垂直に 光へと降りて行くがいい。

それが 一つの やり方だ。

ヨーガは、この下へ降りて行くことに 関わっている ) 

 

あるいは、Aから 垂直に 愛へと上昇すること。

バクティ −−− 信愛の道 −−− 

は 上昇することに 関わっている。

 

いずれにしても、あなたは 動く必要がある。

結果は 同じことだ。

もし 上昇できれば、あなたは またもや不死を 見い出す。

垂直の動きに、死は 存在しない。

 

ただ 水平に動く時だけ、死が 存在する。

だから、もし 上へ昇ることで 愛を 見い出せば 

光を 見い出す。

不死の領域に 入っていけば、人は 必ず 光を見い出すからだ。

光の中に 入っていくと、人は 不死を見い出す。

それらは ひとつだからだ ! 

 

実際、生と死は 一つのコインの 裏表だ。

死は 生の反対ではない。 死は 生の 一部だ。

 

光は 死と反対であり、光は 生と反対ではない。

光は 不死だ からだ。

愛も 死と反対だ、愛もまた、不死だ からだ。

問題なのは、下へ落ちて 光のなかに入るか 

上へ昇って 愛のなかに入るかだ。

この 垂直の旅が 宗教の旅だ。

 

この経文 曰く

『絶えず内なる輝きに、内なる光に、内なる無限の果実に統一していること、それが礼拝の前の沐浴だ』

 

 

(13)終わり…(14)へ 続く