(… Aから 下へ降りて行きなさい。
水平線から、垂直に 光へと降りて行くがいい。
それが 一つの やり方だ。
ヨーガは、この下へ降りて行くことに 関わっている )
あるいは、Aから 垂直に 愛へと上昇すること。
バクティ −−− 信愛の道 −−−
は 上昇することに 関わっている。
いずれにしても、あなたは 動く必要がある。
結果は 同じことだ。
もし 上昇できれば、あなたは またもや不死を 見い出す。
垂直の動きに、死は 存在しない。
ただ 水平に動く時だけ、死が 存在する。
だから、もし 上へ昇ることで 愛を 見い出せば
光を 見い出す。
不死の領域に 入っていけば、人は 必ず 光を見い出すからだ。
光の中に 入っていくと、人は 不死を見い出す。
それらは ひとつだからだ !
実際、生と死は 一つのコインの 裏表だ。
死は 生の反対ではない。 死は 生の 一部だ。
光は 死と反対であり、光は 生と反対ではない。
光は 不死だ からだ。
愛も 死と反対だ、愛もまた、不死だ からだ。
問題なのは、下へ落ちて 光のなかに入るか
上へ昇って 愛のなかに入るかだ。
この 垂直の旅が 宗教の旅だ。
この経文 曰く
『絶えず内なる輝きに、内なる光に、内なる無限の果実に統一していること、それが礼拝の前の沐浴だ』
(13)終わり…(14)へ 続く