(…見せかける ことはできる。
ふりをすることはできる。
が、決して 愛ではない )
恐怖があるところに 憎しみが存在し
恐怖があるところに 嫉妬が存在する。
恐怖があるところには、何でも存在する。
だが、愛は 存在できない。
そこで我々は 愛 がある ふりをする。
しかし 愛は見あたらない。
そして 結局は、嫉妬や憎しみ、恐怖が 見つかる −−−
愛は 見い出せない。 なぜ ?
それは 実際、あなたが 愛 していない からだ。
死が 迫っているとき、どうやって愛せる ?
瞬間ごとに 死が近づいているとき
どうやって 無条件に 愛せるだろう ?
そのことを 次のようにみてみなさい。
あなたは ここにいる。
そして あなたの愛する人、あるいは恋人が ここにいる。
あなたは 愛の歓喜の 真っ只中に いる。
その時、誰かが「五分以内に あなたは死んでしまうだろう」と 言ったとする。
「五分以内に あなたは死んでしまうだろう」と言われた瞬間、愛は 消え去ってしまうだろう。
愛する人のこと、恋人のこと、詩のことを 忘れ、全てが あなたの中から、ただ 消え去ってしまうだろう。
では、なぜ消え去ってしまうのか ?
それらは、決して存在しなかった。
あなたが 死を意識していなかったからこそ
そこに あった。
あなたは 愛しているふりを していたのだ。
死が 存在しない と 知れば、あなたは 愛になる。
するとあなたは 愛するよりほか 何もできなくなる。
あなたが愛する というのではない。
あなたが愛になる、と 言うほうがいい。
愛が あなたの質になる −−−
あなたの行為ではなく、あなたの実存 そのものに。
だから、Aから 下へ降りて行きなさい。
水平線から、垂直に 光へと降りて行くがいい。
それが 一つの やり方だ。
ヨーガは、この下へ降りて行くことに 関わっている。
(12)終わり…(13)へ 続く