saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第11章 : 光、生命、そして愛 (12)


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(…見せかける ことはできる。

 ふりをすることはできる。

 が、決して 愛ではない )

 

恐怖があるところに 憎しみが存在し 

恐怖があるところに 嫉妬が存在する。

恐怖があるところには、何でも存在する。

だが、愛は 存在できない。

 

そこで我々は 愛 がある ふりをする。

しかし 愛は見あたらない。

そして 結局は、嫉妬や憎しみ、恐怖が 見つかる −−− 

愛は 見い出せない。 なぜ ? 

 

それは 実際、あなたが 愛 していない からだ。

死が 迫っているとき、どうやって愛せる ? 

瞬間ごとに 死が近づいているとき 

どうやって 無条件に 愛せるだろう ? 

 

そのことを 次のようにみてみなさい。

あなたは ここにいる。

そして あなたの愛する人、あるいは恋人が ここにいる。

あなたは 愛の歓喜の 真っ只中に いる。

その時、誰かが「五分以内に あなたは死んでしまうだろう」と 言ったとする。

「五分以内に あなたは死んでしまうだろう」と言われた瞬間、愛は 消え去ってしまうだろう。

 

愛する人のこと、恋人のこと、詩のことを 忘れ、全てが あなたの中から、ただ 消え去ってしまうだろう。

では、なぜ消え去ってしまうのか ? 

それらは、決して存在しなかった。

 

あなたが 死を意識していなかったからこそ 

そこに あった。

あなたは 愛しているふりを していたのだ。

死が 存在しない と 知れば、あなたは 愛になる。

するとあなたは 愛するよりほか 何もできなくなる。

 

あなたが愛する というのではない。

あなたが愛になる、と 言うほうがいい。

愛が あなたの質になる −−− 

あなたの行為ではなく、あなたの実存 そのものに。

 

だから、Aから 下へ降りて行きなさい。

水平線から、垂直に 光へと降りて行くがいい。

それが 一つの やり方だ。

ヨーガは、この下へ降りて行くことに 関わっている。

 

 

(12)終わり…(13)へ 続く