saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第2話ーーーQ&A 三番目の質問 (04)

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それが アヴヤークリトーパデーシャ ーー
語られざる言葉,発せられざる言葉と呼ばれる


静寂が,それほどまでに実体のある
それほどまでに確固とした,手ごたえのあるものになっていた
静寂が それほどまでに本物の
それほどまでに実存的なものになっていた
静寂は その瞬間において
手に触れられるほどのものになっていたのだ
仏陀は 無だった
マハーカーシャパもまた
無であるということ
全き空であるということが どういう意味なのかを 理 解 した


ナーガルジュナの空観と
仏陀の無言のメッセージとの間には何の違いもない
ナーガルジュナ仏陀の最大の弟子のひとりであり
史上最も透徹した知性の持ち主のひとりだ
ごく稀に
ほんのときたま
ひとりの ソクラテス,ひとりのシャンカラというようにしか
ナーガルジュナに匹敵するような人たちは出ない
ごくごく知性的な人だった

知性というものがなし得るその極みは,自殺をすることだ
知性に訪れ得る最大のこと,最大のクレッシェンドは
それ自身を乗り越えることだ
それを ナーガルジュナは成し遂げた
彼は 知性のあらゆる領域を通過し
それを超えて行ったのだ


論理実証主義者たちは
無というのは単なる抽象にすぎない と言う
さまざまな否定的言説や否定の形を例にとって ーー
たとえば
「これは甘くない」
「私は健康ではない」
「私はそこにいなかった」
「彼は私を嫌った」,等々・・・
そこには何ひとつそれ自身の実質がない
それが 論理実証主義者たちの主張だ
だが,仏陀は同意すまい
ナーガルジュナは同意すまい
マルチン.ハイデッガー
現代の最も透徹した知性のひとりも同意すまい


ハイデッガーは,無というものには実体験が伴うと言う
「それは 何かただ言語によってつくり出されたようなものではない。
実際に無の体験というものはある。
それは実存(being) と分かちがたく結びついている。
それを証拠づけるのは 恐怖の体験だ」,と


デンマークの哲学者 キェルゴールもまた
「無というものは どんな効果を生むか ? 」と問い
「それは 恐怖を生む」と 答えている

無というのは 事実上の体験なのだ
あなたは それを深い瞑想の中で
さもなければ 死が訪れるときに体験することができる
死と瞑想とが それを体験する二つの可能性だ
そう
ときには愛の中でもまた それを体験することができる
もしあなたが,深い愛の中で誰かの中に溶け去ったなら
あなたは 一種の無を体験することができる
人々が 愛をこわがるのはそのためだ
彼らは ほどほどのところまでしか行こうとしない
そこまで行くと パニックが起こる
そこまで行くと 彼らは怯えてしまうのだ
ずっとオーガズム的な状態にいられる人が ほんのひと握りしかいないのはそのためだ
なぜならば
オーガズムというのは あなたに 無の体験を与えてくれるからだ
あなたは 消え失せる
あなたは何か自分でもわからないものの中に溶けてゆく
あなたは 定義され得ざるもの
“アヴヤークリト (avyakrit)” の中にはいってゆく
あなたは社会的なものを乗り越え
分離というものが効力を持たない,自我(エゴ) というものが存在しない
ある〈 統一 (ユニティー) 〉の中にはいってゆく
そして,それは 恐ろしいものだ
なぜならば,それは死のようなものなのだから ーー


だから,ひとつには愛・・・
しかし,人々はそれを避けることを 学んでしまった
数えきれないほどの人たちが 愛にあこがれながら
しかも,無の恐怖のために
そのあらゆる可能性をぶち壊してばかりいる

あるいはまた 思考が停止する 深い瞑想の中で
あなたは ただただ内側には何もないのを見て取る
だが,その無には 一種の〈現存〉がある !
それは ただ単に思考の不在なのではない
それは 何か 未知のもの,神秘的なもの
何か とても大きなものの〈現存〉なのだ

あるいはまた 死において
もしあなたが 気をつけていれば・・・
人々は普通 無意識の中で死んでゆく
無の恐怖がゆえに 彼らは無意識になったしまう

もしあなたが 意識的に死ぬことができたなら・・・
そして,あなたが 意識的に死ねるのは
あなたが 死という現象を 受け容れたときに限る
そして,そのためには 人は一生をかけて学ばなければならない
準備しなければならない

死ぬ用意ができるには,人は 愛さなければならない
死ぬ用意ができるには,人は 瞑想しなければならない
ただ愛し,そして瞑想をした人間だけが
意識的に死ぬことができるだろう
そして 一度 意識的に死んだなら
もうあなたは 帰 っ て 来 る 必要がない
あなたは〈生〉というレッスンを 学んでしまったからだ
そのときには,あなたは〈全体 whole〉の中に 消え去ってゆく
それが ニルヴァーナ (涅槃) だ


(05)へ続く