saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第10章 「 完全な〈空〉」 第二の質問 (04)

(…〈独りである〉ことが あなたの存在の 本質であるために

他者が 創り出された )

 

ちょっと 試してごらんーーー

二、三週間、山へ行って 独りで 坐るのだ

そうすれば あなたは とても気分がよくなる

誰もが「関係」に 疲れ、飽きて、 退屈している

山へ行って 静かに 坐るが いい

そうすれば あなたは非常に すばらしい気分になる

だが三、 四日が 過ぎ、 五日、 七日、 三週間と 経ってゆくと

あなたは 他者のことを 考えはじめる

あなたの女性が また魅力的に なりはじめる

あなたは、彼女の 意地悪や 口やかましさを みんな忘れる

あなたは、彼女が あなたに対して してきたことを みんな忘れる

すっかり 何もかも 忘れる

彼女は また美しくなり、また愛らしくなり、また すてきになる

ん? あなたは また 価値づけを した

 

そうなったら、あなたは 山から 里へ 降りてこなければならない

二、三日は その女性と すてきに暮らせるだろう

新しい ハネムーンだ ーーー

が、  二、三日 経つと、 ことは また困難になる

そして 再び、あなたは どうやって瞑想するか、どうやって 沈黙するか と 考えはじめる

それが ことの 次第だ

 

あなたの意識と その変動を ただ見まもるが いい

そうすれば、 それを通して 存在全体の プロセスが わかる

なぜなら、あなたは縮小された 存在全体だからだ

 

意識という 振子は

瞑想と 愛、〈独りであること〉と〈共にいること〉の あいだを揺れつづける

今までの 世界の宗教は、愛の宗教か 瞑想の宗教か いずれかだったから、断片的だった

それらは 全体的 (トータル) ではなかった

私は あなた方に 全体的(トータル)な 宗教を 与えている

私は 選んでいない

 

たとえば、仏陀は瞑想を 選んだ

彼は あなた方に 瞑想への愛を与える、それ以外の愛ではない

彼は あなた方に 独りになることだけを 教える

完全に 独りであることーーーそれ以外の何ものでもない

それは いい、世間に疲れ、飽きている人たちにとっては 非常にいい

 

仏陀は 世間に疲れ、飽きた

彼は 王で、乞食では なかった

彼は 女性に うんざりした

父親は、彼のために 王国の中から 美しい娘たちを みんな連れてきた

彼は 最も美しいハーレムのひとつを 持っていた

もし自分の家に 世界中の美女を 集めたとしたら

どれだけの間 そこに生きていられるだろう ? 

ちょっと それを 想像してごらん

ひとりでも、 じゅうぶんすぎる というのにーーー

 

そこには 王国中の 美女がいた

それは 気ちがいじみていたに ちがいない

彼が 逃げ出したとしても、なんの不思議も ない

すべての楽しみが 彼のために 手配された

あらゆる種類の 快楽が 彼のために手配された

彼が うんざりしたとしても、なんの不思議もない

彼は もう一方の 極に移った

他者は もうたくさんだった

彼は森林の中へ逃げて、独りきりになった

 

瞑想の宗教 というものが ある

仏教や ジャイナ教

愛の宗教という ものがある

キリスト教イスラム教だ

これは 理解されなければならない

エスは 貧しい人だ

マホメットも そうだ

これは 偶然ではない

マハヴィーラは 王だ

仏陀も そうだ

二人の王は 世界に瞑想の宗教を与え

二人の貧者は 世界に 愛の宗教を与えた

 

貧者は〈他者〉に 飽きることはできない

貧者は それほど多く〈他者〉を 持ったことがない

貧者は〈他者〉に あこがれる

その〈他者〉は 女性かもしれないし、金 、権力、あるいは 神かもしれない

それは たいしたちがいではない

〈他者〉が 必要なのだ

 

キリスト教イスラム教は 両方とも 祈りと 愛の宗教だ

神への愛、神への祈りーーー

 

仏教、ジャイナ教の場合は、神が入る余地は まったくない

それは〈他者〉が 入りこむ余地が ないからだ

独りで ことは足りる

ジャイナ教や 仏教では、祈りのようなものはない

そういう言葉は 耳にしたことがない

彼らは ただ瞑想しか 知らない

キリスト教は 少しも瞑想を知らない

これは 偶然のことではない

これは 創始者たちに関する何かを 示している

 

 

(04)終わり・・・(05)ヘ 続く