saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第一章 「涅槃(ニルヴァーナ)の境地」 (05)

(…だから、仏陀の 全メッセージは 意識的であれ ということだ
ほかの どんな理由のためでもなく、ただ意識的であること自体のためにーーー)

なぜなら、意識が 存在を与えるからだ
意識が あなたを 生み出すからだ
いまのあなたとは まったく異なる あなた
いまのあなたには想像だにできない あなた
〈私〉が 消え去り、自己という観念が まったく存在しない あなた・・・

あなたを定義するものは 何もない
純粋な 空 (くう)、無限、限界なき 空 (くう)ーーー

これを仏陀は 瞑想の境地、サムマサマーディ と 呼ぶ
人が 完全に独りであるときの 正しい瞑想の状態だ

だが 憶えておきなさい
独り (アロンネス)は 孤独 (ロンリネス) ではない
この 独り alone という美しい言葉について 考えたことがあるだろうか ?

それは all one (全一)という意味だ
それは allとone という 二つの言葉からできている
独りのなかで、あなたは、全体 (すべて) all と ひとつ one に なる
独り(アロンネス)は そのなかに 少しも孤独を 含んでいない
あなたは、独りであるときには、孤独ではない
あなたは独りだが、孤独ではない
あなたは 全体と 一体なのだ、どうして孤独でありえよう ?

実際、あなたは 他者を恋しがらない
あなたが 彼らを 忘れたのではない
あなたが 彼らを 必要としていないのではない
あなたが 彼らを 気にかけていないのではない
いいや、他者を 想い出さないのは あなたが 彼らと ひとつになっているからだ
ひとり one と 全体 all とのあいだの区別は まったく失われている
one (ひとり)は all (全体)と なり
all (全体) は one (ひとり)に なる
この aloneという英語は この上もなく 美しい


仏陀は サムマサマーディは 単独性(アロンネス)だという
正しい瞑想は 全体とひとつになるほどに完全に 独りになるものだ



(05)終わり・・・(06)へ 続く