saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第10章 「 完全な〈空〉」 第二の質問 (01)

 第二の質問

「自分自身のなかに 深く降りてゆけばゆくほど、ますます私は 独り(アロン)であることを感じます。 そこには ただ〈無〉だけがあります。 ときとして、あなたの眼のなかを見入ると、私は広大な〈空〉という同じ感じを受けます。

もしそれが自然ならーーーもし独りであることが根本的で、自分の存在の本質そのものだとしたらーーーそもそも どうして、ひとつになるという幻想的観念、恋に落ちて 永遠に誰かを愛するという幻想的観念が起こりうるのでしょうか ?

そして、それは幻想だと気づくことが どうしてこんなに苦痛なのでしょうか ?

どうか私の疑問を はっきりさせてください。」

 

 

 あなたは疑う者だ、 そして、 あなたが その疑いだ

ほかには 疑いは まったくない

 

まず、あなたは こう言う ーーー

「自分のなかへ深く降りてゆけばゆくほど、ますます私は 独りであることを感じます」

もし ほんとうに 深く降りていったら

あなたは 独りであることは感じるが、「私は独り(アロン)だ」とは 感じない

というのも、そうなったら

私と〈独りであること(アロンネス)〉という 二つのものが あることになるからだ

そうなったら、 あなたは 独りではない

そうなったら、経験する者 と 経験されるもの、観察する者と観察されるものがある

そうなったら、 あなたは 独りではない

そこに もう一人 いる

その経験が その もう一人だ

 

ほんとうに深く 自分のなかに入って行くと、あなたは 自分自身を見出すことはない

それが 理解すべきことの すべてだ

波が存在するのは 水面の上だけだ

大海のなかに 深く入って行けば、あなたは 波を 見出さない

それとも 見いだせるかね ? 

その深さのなかで どうやって波を 見出すことができよう ? 

それは 表面にだけある

それは表面にしか 存在できない

それが存在するためには 風がいる

「我」は 表面の上にしか 存在できない

なぜなら、それが存在するためには「汝」が、「汝」という風が 必要だからだ

自分のなかへ 深く入って行くと、そこには もう「風」はない、もう「汝」は ない

そこにどうして「我」が ありえよう ? 

「我」と「汝」は 二つ 一組で存在する

それらは けっして離れない

 

たしかに、 あなたは 独りであること(アロンネス)は 見出すが、私であること(アイアムネス)は 見出さない

そして 独りであることは 美しい

もう一度 思い出してほしい

alone (単独の)という言葉は、 all one (全一)という意味だ

それは そうやって成り立っている

all one (全一、 すべてひとつ)ーーー

表面では、あなたは〈全体 all〉から 分離している

実際のところ、〈全体〉から離れているから、表面では あなたは孤独だ

その深みのなかで、あなたが消えると

あなたと〈全体〉の あいだには区別は まったくなくなる

全体(すべて)は ひとつだ

あなたは もういない、〈独りであること〉が ある

 

あなたは言う

「自分のなかに深く降りてゆけばゆくほど、ますます私は独りであること(アロンネス)を感じます」

あなたは自分のなかに より深く降りていっていると空想しているにちがいない

マインドは ゲームを演じつづけることができる

それは 独りであるというゲームを演じることができる

それは 祈っているというゲームを演じることができる

それは 瞑想の状態にある というゲームを演じることができる

しかし「我」が 残っているとしたら、それがゲームであることは 確かだ

真実であるものは 何も 起こっていない

だから また他者を求める必要が 湧き上がる

 

「我」は 独りでは 存在できない

それは、自分を支え、自分を養い、育ててくれる 他者が必要だ

 

 

(01)終わり・・・(02)へ 続く