saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第二章 失うものは何もない 第八の質問 (01)

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愛する 和尚、

あなたが死について 話をすればするほど、私の生に対する渇望が大きくなります。
私は、自分が 本当には生きていないことを知りました。
生と死がともに来るのは 理解できますが、私の内部には、生、愛、激情への熱望があるのです。
私は、満たされない欲望を 捨てようとして悩んでいる自分を発見しました。
手にしたことのないものを 諦めることなど、できるのでしょうか。
私は、再び肉体に戻れさえすれば良いと思っています。
幻想にしろ 何にしろ、未だに欲望があり、自分でも 驚いているのですが、その欲望が かつてないほどのものに なっていることを認めざるを得ません。



私が「死ぬ」と 言う場合、真の眼目は「強烈に生きる」ということにある。
本当に言いたいのは、情熱的に生きなさい ということだ。
生を 全うしてもいないのに、死ねるはずがない。
完全な生の中にこそ、死は ある。
そして その死は美しい。
情熱的に、強烈に生きれば、死は自ずとやって来る ーー 沈黙として、深甚なる至福として。
私が「死ぬ」と言う場合、生に反することは 一切意図されていない。
あなたが死を 恐れているとすれば、実のところ、生も恐れている。
それが、質問者に起こっていることだ。

生は 死を運ぶ、だから死を恐れる者は 生をも恐れる。
敵を恐れれば ドアを閉ざす、そうすると 友も入って来られなくなる。
敵を恐れてドアを閉ざす、敵が入って来るかもしれないと、友が入って来るドアをも閉ざす。
ひどく恐れているため、友に対しても開くことができない。
友が 敵に変わらないとも限らない ーー それは誰にもわからない。
そうでなくとも、ドアを開けておけば 敵が入って来るだろう。

人々は、死への恐れから 生を恐れるようになった。
人々が 生を生きないのは、生の 頂点、絶頂では、つねに死が浸透しているからだ。
こんな現象に注目したことがあるだろうか。
大多数の女性が 不感症なのだ。
女性は、オーガズム、エネルギーの激しい爆発を恐れている。
長きにわたって、性的快感を得られずに、オーガズムを知らずにいる。

また、大多数の男性も、その恐怖に苛まれている。
九十五パーセントの男性は、早漏のために問題を抱えている。
オーガズムに対する大きな恐れから、なんとか早く オーガズムを終わらせよう、オーガズムから脱しようとする。

男性は、何度も性行為をしようとするが、恐れを抱いている。
女性は 感じない。
男性も恐くてオーガズムの状態に留まっていられない。
他ならぬ その恐怖が、男性を 自然な状態よりも早く射精させる。
女性は不感症で、閉じて 自分にしがみつく。
その恐れのため、もはやこの世から オーガズムが消えてしまった。

深いオーガズムのときには、死が入り込む。
死んでしまうように感じる。
オーガズムに達すると、女性は もだえ、大きなうめき声を出す。
「死んじゃう、殺さないで !」と言うこともある。
実際にあることだ。
女性は、オーガズムに達すると あえぎだす。
「死んじゃう、殺さないで、やめて !」と声をだす。
自我が存在できない 深いオーガズムがやって来ると、死が 入り込む。
だが、それが オーガズムのすばらしいところだ。


人々は 愛を恐れるようになった。
なぜなら、愛には死が 浸透しているからだ。
恋人同士が、話もせず、深い愛に包まれ、仲良く寄り添っているとすれば・・・おしゃべりは 逃避、愛からの 逃避だ。

恋人同士が おしゃべりをするのは、睦(むつ)まじく なくなろうとする兆候に他ならない。
仲介者としての 言葉は隔たりを作る。
言葉がなければ 隔たりは消え、死が現れる。
沈黙の中に 死は潜む ーー 美しい現象だ。
けれども 人々は恐れて、必要のあるなしに 関わらず話し続ける。
ありとあらゆる事柄について 話し続ける。
沈黙は 保てない。

恋人同士が 静かに座っていると、突然 死が 二人を包む。
また、沈黙している二人を見れば、幸福と ともに悲しみがあるのが わかるだろう。
生の 絶頂ゆえの 幸福であり、生の絶頂において 侵入してくる死ゆえの 悲しみだ。
沈黙するたびに、あなたは 一種の悲しみを覚える。
薔薇の花を 見ているときでさえ、花のことは何も言わず ただ見ていれば、沈黙の中で、突然 そこに死を感じる。
あなたは その花が枯れ、もうすぐ なくなってしまうことを、永遠に消えてしまうことを 知る。
何と美しく、何と儚(はか)いのだろう !
何と美しく、何と か弱いのだろう !
何という美しさ、何という奇跡、それが もうすぐ消え、二度と蘇ることはないのだ。
あなたは 突然 悲しくなる。


瞑想するたびに、死が漂っていることに 気づくだろう。
愛、オーガズム、あらゆる美的体験、音楽、歌、詩、踊り、その さなかにあるとき ーー あなたが 突然 自我を失うとき、つねに そこには死がある。

そこで、一つ言わせてほしい。
生を 恐れるのは、死を恐れるからだ。
だから、死の恐怖を すべて振り払えるよう、死に方を 教えたいと思う。
死の恐怖が失せたとき、あなたは 生きられるようになる。


私は、生に反することを 話してはいない。
生に反することなどどうして言えよう。
私は 生の熱愛者だ。
生を 熱愛しているからこそ、死も 愛しているのだ。
死は 生の 一部。
生を愛し切っているのに、死を避けることなど できるだろうか。
死も 愛さざるを得ない。

花を深く愛していれば、花の朽ちていく様をも愛する。
女性を深く愛していれば、その老いていく姿をも愛する。
いつの日か 訪れる、その死をも愛する。
それは、その女性に 不可欠のものだ。
老いは、外からは来ない。
内からやって来る。
今では 美しい顔に皺ができてしまった。
あなたは その皺をも愛する。
それは、愛する女性(ひと)の 一部だ。

あなたは男性を愛する、彼の髪は 白くなってしまった。
あなたは その髪をも愛する。
白髪は、外から来るのではない。
偶然のものではない。
生は開かれている。
今では 黒髪がなくなり 白髪になってしまった。
あなたは 拒まない、あなたは 愛する。
そうしたものも その人の 一部だ。
あなたの愛する男性(ひと)は、年老いて 弱くなる。
あなたは それをも愛する。
いつの日か その男性は死ぬ。
あなたは それをも 愛する。

愛は すべてのものを愛する。
愛は 愛以外のものを知らない。
だから私は、死を愛しなさいと言う。

死を 愛することができれば、生を愛するのは とても簡単になる。
死さえも愛せるようになれば、問題は なくなる。

問題が生じるのは、質問者が 生を恐れ、何かを抑圧してきたからに違いない。
抑圧は 危険な結果を招くことがある。
抑圧につぐ抑圧を 続けていれば、いつか、美的感覚を すっかりなくしてしまうだろう。
美しさ、優雅さ、神聖さに対する感覚を すべて失うだろう。
すると、醜悪なことでも 何でもしかねないような、病的 興奮状態に陥る。


あなたに、すてきな話を してあげよう。
チンマヤが送ってくれた、見事なジョークだ !

海兵隊員が前哨基地のある 遠くの島に 派遣された。
そこには女性が 一人もいなかった が、猿がたくさんいた。
彼は、仲間の海兵隊員 全員が、猿たちと 愛の行為に及ぶという事態を目の当たりにして ショックを受けた。

そして仲間に、自分は、そんなはしたない真似は 絶対にしないと誓った。

仲間は、頑(かたく)なになるなよ と言った。

しかし、何ヶ月か過ぎると、その海兵隊員は もう我慢ができなくなり、最初に捕まえることのできた猿と 行為に及んだ。
だが、その現場を見られてしまい、見ていた仲間に 大笑いされた。

びっくりして、彼は言った、
「どうして笑うんだ。
君らが、いつもやれって言ってたことじゃないか 」

仲間が答えた、
「あぁ。でもね、一番 醜いやつと やることはないだろう 」


抑圧すれば、一番 醜い生を 選びかねない。
すると、あなたは熱にうなされ、意識の中に いなくなる。そうなったら、神経症にかかったも同然だ。
抑圧がそこまで ひどくならないうちに、くつろいで 生の中へ入って生きなさい。
それは あなたの生だ !
罪悪感を抱いてはいけない。
生きるべき、愛すべき、理解すべき、ありのままであるべき、あなたの生だ。
どんな衝動であれ、与えるのは 神、それらは、あなたが どこへ行くべきか、どこで探すべきか、どこで成就すべきかを 暗に知らせるものに他ならない。


(01)終わり・・・(02)へ 続く