saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第8話 ーーー Q&A 最初の質問 (06)

…( そしてまさに その理解において
一切の束縛から 自由なのだ
それは どういう意味だろう ? )

それは あなた方は こわがっているという意味に ほかならない

たとえば
いま やっている この般若心経の 講話は
大勢の人たちに恐怖感を与えている
たくさんの人たちが メッセージを送ってきて
「バグワン,もうやめてください
あなたは私たちに〈無〉や死を こわがらせるだけです」と 言う

プラギート(サンニャーシンのひとり)は ものすごくこわがっている
ヴィディヤ(サンニャーシンのひとり)も ものすごくこわがっている
そして ほかにも大勢いる
なぜか ?

あなたは恐怖を 厄介払いしたくはないのかね ?

もし恐怖を 厄介払いしたかったら
あなたは恐怖を 理解しなくてはなるまい

あなたは 恐怖がそこにある
死の恐怖が そこにあるという事実を 回避したい
さてプラギートだが
うわべは 強そうに見える
ロルファーだ
だが奥深いところでは,彼は ものすごく死を こわがっている
このまわりにいる中でも 一番こわがっている ひとりだろう

たぶん,表面で彼が 強そうな構えをしているのは そのためだろう
力持ち
いじめっ子 ーーー
ん ? それが ロルファーだ


私が聞いたところによると
近頃 地獄の悪魔たちは ロルファーたちに 目をつけているらしい
ロルファーたちは,人々を 身のためになる という名目で責めさいなむ
それも すごいテクニックで 責めさいなむ


もし 内側で こわがっていたら
あなたは 自分がこわがっている ということを 誰にも知られないように
自分のまわりに 堅い殻のような何か強固なものを つくり出さねばなるまい

そして,そればかりじゃない
あなたもまた その堅い殻のために
自分が こわがっていることが わからない

それは ほかの人たちから あなたを守り
あなた自身の 理解からも あなたをかばう


知性的な人というのは,どんな事実からも 逃げないものだ

もしそれが 恐怖ならば
彼は その中に はいって行くだろう

“ 脱出する ” には 通過して行くしかないからだ

もし彼が 恐怖感を抱いていて
内側から 身震いが起こっているとしたら
彼は 何もかも脇にのけて
まず 最初に この恐怖が通過されねばならない

彼は その中に はいって行くだろう
彼は 理解しようと するだろう

彼は どうやってこわがらないでいるか と 力んだりはすまい
彼は そういう問いの立て方はしないだろう
彼は ただただ ひとつの問いを問う
「この恐怖は 何か ?
それは そこにある
それは 自分の 一部だ
それは 自分の リアリティー
私は それに はいって行かなければならない
私は それを 理解しなければならない
もしそれを 理解しなかったら
自分の 一部が つねに未知のままで 残ることになる
そしてもし そういう部分を 回避し続けたりしたら
どうして『自分は誰か』が わかるだろう ?

恐怖も 理解できないだろう
死も 理解できないだろう
怒りも 理解できないだろう
自分の憎しみも 理解できないだろう
自分の嫉妬も 理解できないだろう
あれもこれも,理解できないものが たくさん残ってしまうだろう・・・」


そんなことになったら どうやって あなたは自分自身を知るつもりかね ?

こういうものは 全部 あ な た なのだ !
これは あなたの 実存なのだ !

あなたは そこにある あらゆるものの中に はいって行かなくてはならない
隅から隅まで ーーー

あなたは 恐怖を探検しなくてはならない
たとえもし 震えていようとも
何も 心配はいらない
震えるがいい
が,とにかく はいって行くのだ
震える方が 逃げ出すよりは ずっとましだ
なぜならば,いったん 逃げ出してしまったら
その部分は あなたにとって 未知のままで 残るだろうから ーーー

そして,あなたは
もっともっと それに目をやることを こわがるようになるだろう
その恐怖が蓄積してゆくだろうからだ

もしあなたが いまのいま
この瞬間に その中に はいって行かなかったら
それは どんどん大きく大きくなってゆくだろう

明日になったら
それは 24時間だけ余計に 生き長らえていることになる
要注意 !

それは あなたの中に もっと根を張っていることだろう
それは さらに 羽振りがよくなり
一段と 強くなるだろう

そうなったら 組みつくのは 余計 難しい
行くなら いまのいま 行った方がいい
もうすでに 遅いぐらいだ


そして もしその中に はいって行ったら
そして それを 見たら ーーー

そして,見る というのは先入観がない ということだ
見るというのは はじめから 恐怖は悪い と 非難したりしないという意味だ
誰が わかる ? ーーー

それは 悪いものじゃない
誰が 悪いと言った ?

探検家というものは
あらゆる可能性に対して オープンなままで いなければならない
心を閉ざすなどという贅沢は言っていられない
閉じた心 と 探検とは ウマが合わない

探検家は その中に はいって行くだろう
もしそれが 苦しみや 痛みを もたらすとしたら
彼は その痛みを苦しむだろう
が,彼は その中にはいって行く
震えながら
ためらいがちに ーーー

が,彼は その中に はいって行く
「これは 自分の縄張りだ
私は それを 知らなくてはならない
それが 何であるのか ーーー
もしかしたら
それは自分にとって 何かの宝物をたずさえているかもしれない
もしかしたら 恐怖というのは
その宝物を守るために そこにあるだけなのかもしれない 」


それが 私の 体験だ
それが 私の 理解だ
もし自分の恐怖の中に 深くはいって行ったならば
あなたは 愛を発見するだろう

あなたが 愛しているとき
恐怖が 消え失せてしまうのは そのためだ

そして,こわがっていると
あなたは 愛することができない
これは どういう意味か ?

単純な算数だ
恐怖と 愛とは 共存しない

ということは
恐怖になるのは その 同じエネルギーに 違いないという意味だ
そのとき,そこには何も 愛になるものが 残っていない

それが愛になると
反対に,そこには何も 恐怖になるものが残っていない

恐怖の中に はいって行ってごらん
プラギート,ヴィディヤ ーーー

そして 恐怖感を抱いている ほかのみんなも
その中に はいって行くのだ
すると,あなたは 大変な宝物を 発見するだろう

恐怖の うしろには 愛が 隠れている
そして怒りの うしろには 慈しみが 隠れている
そしてセックスの うしろには サマーディ(三昧)が 隠れている


ひとつひとつの 消極的(ネガティブ)な ものの中に はいって行ってごらん

するとあなたは 積極的(ポジティブ)な ものを 見出すだろう !




(06)終わり・・・(07)へ 続く