saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第7話 ーーー 〈無〉に 帰依する (17)

現代実存主義創始者である デンマークの哲学者
ゼーレン・キェルケゴールの有名な声明を 聞いたことがあるだろうか ?

彼は言う
「人間とは おののきだ
絶え間ない おののきだ
なぜか ?

死が そこにあるからだ
なぜか ?

それは ある日
その恐怖が 姿を現わすからだ
『自分は いなくなるかもしれない』」ーーー


彼は あたり前の心(マインド)に ついてなら当を得ている
誰もかも 震えおののいている

問題はいつも “to be,or not to be” だ
それはつねに そこに引っかかっている
死 ーーー

あなたは〈無〉の中に 消え去ってゆくことなど 認め難い
それは 痛む
それは 恐ろしい

そして,もし自分自身の内側を 深くのぞき込んだなら
あなたは必ず,自分自身が〈無〉であるという観念に おののいていることを見出すだろう
あなたは いたい
あなたは 残りたい
あなたは 踏みとどまりたい

自分の内なる実存について 何も知らない人たちが
魂が不死だ と 信じ続けているのは そのためだ
彼らは そんなことを知っているわけじゃない
それは 恐怖のせいなのだ
その おののきのために
彼らは 魂が不死だ ということを信じなくてはいられない

それは 一種の 達成願望なのだ
だから,魂の不滅性について 語りさえすれば
どんな馬鹿でも あなたを惹きつけられる
あなたは 引っかかってしまうだろう

あなたは 彼の言うことを 理解しているわけじゃない
彼自身だって 理解していないかもしれないのだ
だが,とにかくそれは とても魅力的だ
インドでは 人々は 魂の不滅を信じている
そして
これ以上 臆病な人々たちは ほかのどこにも 見つからないだろう
一千年の長きにわたって 彼らは ずっと奴隷だった
ごく小さな国々の奴隷だ
誰でも インドに来れば
征服するのに,何の困難も なかった
それは実に あっけないほどだった

そして,これが魂の不滅を信じている人たちなのだ
本当ならば
魂の不滅を信じている国は 全然征服などされ得ないはずだ
なぜならば,誰も死ぬことを怖れないだろうから ーーー

どうして死を 怖れない人を征服することができる ?

そういう人たちなら
ひとり残らず 死んだって,どんな種類の服従にも屈しないはずだ
彼らは どんな征服者にも屈することなど あり得なかっただろう

ところが,一千年の間
インドは ずっと奴隷だった
ごく やすやすと奴隷にとどまっていた


イギリスなど 実に小さな国だ
インドには 一州で それより大きなところもいくつかある
イギリスには この大きな国を やすやすと支配することができた




(17)終わり・・・(18)へ 続く