saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第六章 生のアート The art of living (最初の質問)(03)

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ナレンドゥラが ここにいる。
彼の父親も 四、 五十年に気が狂った。

ナレンドゥラが狂ったとき 彼は家から逃げ出したが、二、 三ヶ月後に アグラで捕まり、狂人ばかりいる監獄に入れられた。
ラホールには、狂人用の特別の監獄があった。
ナレンドゥラは、自分も気が狂っていたから 九ヶ月間は万事うまくいっていたと言う。
九ヶ月が過ぎたとき、たまたま間違ってフェノール (石炭酸)を 一瓶 丸ごと飲んだ。
狂人がフェノールを風呂場で見つけて飲んでしまったのだ。
胸が むかむかし、吐き、下痢になった。
その下痢のせいで 十五日間 出し続け、狂気まで なくなった。
下痢が効いて、カタルシスのような働きをしたわけだ。
ところが、狂気が消えたとき 本当の問題が持ちあがった。
狂人たちのところにいたからだ。
さて、はじめて自分が どこにいるのか気がついた。
彼の足を引っ張る者、頭を叩く者、狂人たちは おしゃべりしながら踊っていた。
だが、もう自分は 狂っていない。
狂っていないときに 狂人たちと過ごした その三ヶ月間が、最も苦しいものだった。
ひどい苦痛と 不安の三ヶ月間だった。
寝ることもできなかった。

それでナレンドゥラは、当局者のところへ行き、「私は もう狂ってはいません。 出してください」と 言うのだった。
だが、聞いてはもらえなかった。
狂人は 皆、自分はもう狂っていない と言う。
だから そんなことを言っても証明にはならず。
一年の刑を 全うしなければならなかった。

彼は 私に、あの三ヶ月は けっして忘れられない と語った。
悪夢の連続だった。
だが、 自分も狂っていた九ヶ月間は まったく幸福だった。

絶対的に狂っている 国や世の中で、仏陀やバアル・シェムのような人になったとき 何が起こるのか、あなたたちには想像もつかない。
その人は もう狂ってはいない。
だが、あなたたちと ともに生き、あなたたちの法律に従わなくてはならない。
そうしなければ あなたたちに殺される。
その人は 妥協しなければならない。
当然、あなたたちに 妥協は望めない。
あなたたちは 考えられるような状況にないが、その人は 考えられる。
高い者が 低い者に、偉大な者が 小さな者に、賢い者が 愚かな者に 妥協するしかない。

だから、女性は 受け入れられなかったのだ。
女性が 歴史の暗闇から抜け出したのは、つい最近、今世紀に入ってからに過ぎない。


こんな話を聞いた。

ゴルダ・メイアイスラエルの首相をしていたとき、インドの首相であるインディラ・ガンジーイスラエルに行った。
そして その訪問の際、ゴルダ・メイアの歓迎を受けた。

すべての史跡巡りを 終えたあと、ガンジーが「シナゴーグ (ユダヤ教会堂)を訪ねてみたいですね」と 言った。
「ぜひ どうぞ」とイスラエルの首相は答えた。

二週間後、ガンジーは 閣僚たちの前に立っていた。
イスラエルで学んだことは 何ですか」と 閣僚のひとりが尋ねた。

「いろいろと学びましたが、一番勉強になったのは、イスラエルシナゴーグでは、男性が 一階のフロアで、首相たちが バルコニーで礼拝をするということです」と インドの首相は答えた。


女性の 首相が 二人。
だがガンジーは、首相たちは バルコニーで、男性は フロアで礼拝するものと考えた。
いったん決まったことは、首相といえども 変えるのは極めて難しい。
首相といえども 伝統を変えるのは 難しい。

ハシディズムの人は 一つの波であったが、運動全体を 破壊されるより、社会と その決まりや規則と 同調していく方を選択した。
少なくとも男性には メッセージを届けよう。
今すぐ 女性に届くことはないにしても、あとから届くだろう。
メッセージを 大地に根づかせるだけでもしておこう。

私はここに、極めてなじみのない奇妙な世界にいる。
私は あなたたちに多くのものを与えたいと思っているのだが、あなたたち自身の抵抗に遭って与えることができない。
あなたたちの実存にある 多くのものを気づかせたいのだが、 あなたたちは 私に反対するだろう。
私は とてもゆっくり、大きく迂回して進まなければならず、直接には 事を成し得ない。

わかるかね、私は、プラティマがハシディズムについて 問題としていたことを実践したのだ。
私は それをやり終えた。
私の共同体では、もう男女は分かれていない。
それで、インド人は 私のアシュラムに来るのをやめてしまった。
インド人は 来られない。
彼らが来ていたときに抱いた疑問は、多かれ少なかれ、すべてそれに関するものだった ーー 何だね、このアシュラムは。
男女が一緒になっている、手をつないで歩いている。
瞑想のあとでさえ、抱き合ったり キスをしたりしているではないか。
どういうことだ。
これは 良くない。

彼らは 私のところに来て こう言った、「これは良くない、許されてはなりません。
和尚、あなたから慎むよう言って聞かせるべきです」。

何も間違ってはいないから、私は 口出ししたことがない。
男女のあいだに いかなる垣根もこしらえてはならない。
男女のあいだに 隔たりはない、高い者も 低い者もない。
違ってはいるが平等だ。
違いは美しい。
そこに違いがなければならない。
違いは 高められるべきだが、平等は 保たれなければならない。
私にとって、愛は 神性へ至る道だ。

私は 彼らの言うことを聞かなかった。
やがて、インド人はいなくなった。
今ではもう、少数のインド人、心を抑圧しない人、フロイト以後の人しか ここに入れない。
だが、 インド全体としてはフロイト以前だ。
インドでは まだ、フロイトは 知られていない。
まだ、インド人の魂に フロイトは入って来ていない。

だが私は そのことをやり終えたし、私は ハシディズムの人だ。
したがって、あなたは 昔のハシディズムの人々を許せる。
当時、機は熟していなかった。
いまでさえ、それは難しい。
些細なことにも、ことごとく困難がつきまとう、だから日々 困難に出会わざるを得ない。
伝統的な行動をとれば そうした困難は避けられるだろうが、私にはできない。
そんなことをすれば、私が ここにいる意味がないからだ。
そんなことをすれば、あなたたちに メッセージが伝えられないからだ。
そうなったら、あなたたちと私のあいだに 何も起こり得なくなるし、私の 革命性を 貫けなくなる。


また、私は 殉教者になることには まったく興味がない。
私には、それも 一種のマゾヒズムに思える。
いつも殉教者になろうとしている人々は、本当には 自分のしていることに気づいていない。
彼らは 自殺を求めているのだ。
私は 殉教者ではない。
私は 生を愛する、生を含み持つ すべてのものを愛する。
ハシディズムの創始者である マスターたちも、私 同様、生を こよなく愛した。
だからこそ、私は 彼らの話をすることにしたのだ。
ある道について 選んで話すのも、それが とても強く私に訴えかけてくるからに他ならない。

ハシディズムの人々は、政治的革命を起こしたい と思うような人々ではなかった。
改革主義者では なかった。
社会を改革しようとしてはいなかった。
ハシディズムの人々は、個々の魂に 変革をもたらそうとしていた。
だが、社会の中に いなければならなかった ーー つねに そのことを頭に置いておきなさい。

しかし、伝統化すると 必ず起こるのは 何だろう ?
今日、ハシディズムは伝統化し、正統的宗派に なってしまった。
今、機は熟している。
もしあの共同体が ニューヨークにあれば、女性は受け入れられる。
ハシディズムの共同体はニューヨークにあるのだが、今では正統的宗派になってしまった。
独自の伝統を持っていて、バアル・シェムに反することができない。
だから、現在のハシディズムの人々は 本当のマスターではない。
従者の従者、そのまた従者であるに過ぎない。

あなたはここに、私とともにいる。
本来のものと 顔を向き合わせている。
あなたが それを 人に話すとき、それは本来のものでなくなる。
私から話を聞き 人に伝える、すると その多くが失われる。

それから、聞いた人が別の人のところへ行き、 私の言ったことを伝える。
また多くのことが 失われる。
二、 三年も経たないうちに、何回も伝わらないうちに、真理は すっかり破壊される。
残るのは 嘘だけだ。

そして、革命的な運動が 保守的な伝統となる。


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