saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

「究極の錬金術 2」by OSHO,


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最初の質問 (07)

( 彼らは ある意味で正しい。

彼らの 見地から言えば そうだからだ )

 

私が いつか、聞いた一つの話をしよう。

 

それは まだ朝早い時だった。

太陽が まだ昇っていない時刻だ。

一匹の ミミズが 半分 目を覚ましたが、彼は まだ眠たかった。

彼は 石の周りで リラックスして よじれていた。

その時、太陽が昇り始め、もやが 消え去った。

このミミズは ほかのミミズがいることを 感じた。

彼は石の周りを見た。

すると、ちょうど石の向こう側から ほかのミミズが近づいてきた。

彼は そのミミズと恋に落ちた。

人間界の常のように、ミミズは 一目ぼれした。

そして 求愛の準備が終わり、最初にミミズが言ったことは

「ベイビー、 俺は お前に惚れたぜ。

もう俺は お前なしでは生きられない。

だから 俺と結婚してくれ」だった。

もう一匹のミミズは、その時まで ずっと黙っていた。が、それを聞いて、そのミミズは 笑ってこう言った「あなた馬鹿ね ! 私は あなたの身体の もう一方の端なのよ」と。

 

知の道を 行く者にとって、

献身の道を 行く者は 馬鹿に見える。

彼らには、献身の道を行く者は、もう一方の端のことを語っているように思える。

献身の道を行く者は、愛される者を「神、 聖なる者」と呼んでいる。

が、彼らは自分たちの もう一方の端のことを 話している。

彼らは、知の道を行く者たちから 見ると馬鹿に見える。

だが知の道を行く者は、「彼らは いい人たちだ。 彼らは 自分たちが馬鹿だと認めている」と 言うだろう。

 

セント・フランシスは 自分のことを、「神の馬鹿」と言っていたそうだ。

が、献身の人たちは 良い人たちだから、自分自身を 笑える。

 

セント・フランシスは 言う、

「私は 馬鹿です。

でも馬鹿のままでいさせてください。

私は 賢くなりたくない。

なぜなら 賢い人たちを 見てきたからです。

私は 狂っているかもしれない。

でも 狂ったままで いさせてください。

私と神の この愛で充分です」と。

 

献身の人は 馬鹿だ。

が、それには 一つのメソッドが 使われている。

彼らは 狂っているが、一つの方法が使われている。

 

 

(07)終わり(08)へ 続く