最初の質問 (06)
( この経文は 稀だ。
それは 両方の コンビネーションだ )
この経文 曰く
「 “ 自分がそれだ ” と知ると、それが神への敬礼になる」
最初の部分は 知る者の道、 二番目の部分は 献身者の道、愛する者の道の ものだ。
それを別の言葉で言うなら
「自分が 一つであると 知った時 初めて、自分が二つであると 知る」ということになる。
あるいは「自分が 二つであると知った時初めて、あなたは内なる統合、一体性を感得するに至る」ことになる。
その 二つである ことと 一つである ことは、 あなた から やって来る。
事実から ではない。
事実は その両方であり、どちらでもない。
愛する者の 目には、電子は 二つのように見える。
愛する者と 愛される者 に 分かれる。
知る者の 目には、電子は粒子のようであり、一つであるように 動く。
そこには 何の実質的矛盾もない。
だが彼らは お互い 嘲笑う。
知の道を行く 探求者はいつも、献身の道を行く者は「何かを 取り逃している −−− 彼は 究極なるものに 達することはできない」と 思っている。
彼らは ある意味で正しい。
彼らの 見地から言えば そうだからだ。
(06)終わり(07)へ 続く