saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

「究極の錬金術 2」by OSHO,


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最初の質問 (06)

( この経文は 稀だ。 

それは 両方の コンビネーションだ )

 

この経文 曰く

「 “ 自分がそれだ ” と知ると、それが神への敬礼になる」

最初の部分は 知る者の道、 二番目の部分は 献身者の道、愛する者の道の ものだ。

 

それを別の言葉で言うなら

「自分が 一つであると 知った時 初めて、自分が二つであると 知る」ということになる。

あるいは「自分が 二つであると知った時初めて、あなたは内なる統合、一体性を感得するに至る」ことになる。

 

その 二つである ことと 一つである ことは、 あなた から やって来る。

事実から ではない。

事実は その両方であり、どちらでもない。

 

愛する者の 目には、電子は 二つのように見える。

愛する者と 愛される者 に 分かれる。

知る者の 目には、電子は粒子のようであり、一つであるように 動く。

 

そこには 何の実質的矛盾もない。

だが彼らは お互い 嘲笑う。

 

知の道を行く 探求者はいつも、献身の道を行く者は「何かを 取り逃している −−− 彼は 究極なるものに 達することはできない」と 思っている。

彼らは ある意味で正しい。

彼らの 見地から言えば そうだからだ。

 

 

 

(06)終わり(07)へ 続く