saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

「究極の錬金術 2」by OSHO,


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最初の質問 (04)

ディラックの言うことも、彼なりの あり方で正しい。

それは 彼の アプローチだ )

 

彼は 言う。

「もしあなたが 一体性に達したのなら、愛する者もいなければ 愛される者もいない。

両方消え去った。 区別はない。

あなたには 語れない、愛する者のことや聖なる者のこと、神のことを。

あなたには献身者のことを 語れない。

それは ナンセンスだ !   止めなさい !

それか、もし まだ二元対立ということだ立場で ものを考え続けているなら、あなたは まだ一体性に達していない −−− その両方は 同時に存在できないからだ」と。

 

それは 数学的アプローチだ。

が、生は 数学ではない。

生は 相反するもの、矛盾するものでも受け入れる。

それを 別の方法で 説明しよう。

その方が 簡単だろう。

 

今世紀は、 科学における最大の 革命の一つがあった。

それは、数学が その王座から 降ろされた ということだ。

電子の発見で、古い合理的アプローチは 不合理なものとなり、時代遅れと なった。

 

ドイツの哲学者、エマニュエル・カントの話を 聞いたことがあるだろう。

彼は 二匹の猫を飼っていた。

一匹は 小さく、もう一匹は 大きな猫だった。

二匹とも 彼と一緒に 寝ていた。 しかし 問題が あった。

時々、猫たちは 寝る時間に やって来なかった。

一方、カントは 時間にとても うるさい人間だった。

彼は 時計によってのみ、行動していた。

彼は 猫たちが 帰るのを待っていた。

猫たちが帰って来なければ ドアを 閉められなかった。

そしてある日、彼は 召使に、大工を呼んで ドアに 二つの穴を 開けるようにと 言いつけた −−− 一つは 小さい猫、もう一つは 大きい猫のためだ。

 

「そうしておけば、猫たちは いつでも帰って来られるし、私も 楽に寝られる」と カントは言った。

召使は カントが 正気ではなく、狂っていると 思った。

猫たちは 一つの穴だけで 家の中に入れる。

二つは いらないからだ。

だが、数学的には カントは正しい。

現実面では 彼は ただの馬鹿だ。

数学的には、カントは 全く正解だ ! 

 

召使は 「一つの穴で いいのだから、一つだけ穴を 開けましょう」と 思った。

そして カントが 大学から帰ってくると、ドアに 一つしか 穴がないのを 見た。

それは 大きい猫のための ものだった。

そこで 彼は言った。

「これじゃ、どこから小さな猫が 入ればいいんだね ?  もう一つの 穴は どこにある ? 」

すると 召使は「彼女も その穴から 入れます。

彼女は そんな大哲学者では ありませんから。

猫たちは とても実際的です。

理論的じゃありません。 だから 穴のことは 気になさらないでください」と。

 

だが、カントには 考えられなかった。

そこで カントは 待った。

彼は、小さいのと 大きいのと その両方が 一つの穴から入るのを自分の目で 見ない限り、心が 収まらなかった。

 

我々は そのことを 笑う。

だが今や、もっと おかしなことが、電子の発見と ともに起こった。

そして、物理学のすべてが、滅茶苦茶に なってしまった。

というのも、一つの電子を、鏡、スクリーン、二つの穴の開いている スクリーンに放出すると、電子は、その両方の穴を 同時に 通過する ということだ。

もし あなたが窓から投げ出されたとして、

同時に 二つの穴から 投げ出されることは あり得ない。

だが 電子には それが あり得る。

 

その事実が 最初に観察されたとき、電子は 全く実際的でないように見えた。

ことの 全体が奇妙に思えた。

一つの 電子が、どうして同時に 二つの穴を 通れるのか ? 

が、電子は 通過した。

電子は 科学者ではない。

この事実を 何としよう。

この現象を どう解釈するかね ? 

 

 

(04)終わり(05)へ 続く